種の頽廢氣分の詩風、即ち所謂「象徴詩」なるものは、その特色ある名稱として用ゐられる限り、今日既に廢つてしまつた。しかしながら象徴主義そのものの根本哲學は今日尚依然として多くの詩派――表現派、印象派、感情派等――の主調となつて流れてゐる。自由詩形もまた此の哲學から胎出された。)
 象徴主義が唱へた第一のモツトオは、「何よりも先づ音樂へ」であつた。しかしこの標語は、かつて昔から詩の常識として考へられて居た類似の觀念と別である。ずつと昔から、詩と音樂の密接な關係が認められて居た。「詩は言葉の音樂である」といふ思想は、早くから一般の常識となつて居た。しかしこの關係は、專ら詩と音樂との外面形式に就いて言はれたのである。即ち詩の表現が、それ自ら音樂の拍節と一致し、それ自ら音樂と同じ韻律形式の上に立脚する事實を指したのであつた。然るに今日の新しい意味はさうでない。今日言ふ意味での「詩と音樂の一致」は、何等形式上での接近や相似を意識して居ない。詩に於ける外形の音樂的要素――拍節の明晰や、格調の正しき形式や、音韻の節律ある反覆や――はむしろ象徴主義が正面から排斥した者であり、爾後の詩壇に於て一般に閑却さ
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