。僕の讀み方によるドストイェフスキイは、心理上でポオと共通し、思想上でニイチェ、ショーペンハウエルと類縁するところの作家であつたが、友人たちの見たドストイェフスキイは、やはり白樺派の人と同じく、人道主義的に見たそれであつた。そこで僕は、自然に思想上で彼等と別れ、雜誌の發行にも興味を失つてしまつたのであつた。丁度その時、僕は處女詩集「月に吠える」を出し、室生犀星君もまた第一詩集「愛の詩集」を發行した。前者の詩篇には、僕の見たド氏の生理的内臟圖が描かれてあり、後者の詩集には、室生君の見たド氏の人道的な肖像が描かれて居た。
僕が出發した當時の文壇は、ドストイェフスキイの名が最も高く呼ばれて居り、一つの文壇的流行でさへあつたにかかはらず、事實全く理解されてなかつたのである。單にドストイェフスキイばかりでなく、白樺派の偶像としてあれほど流行したトルストイさへ、少しも本質的には理解されて居なかつた。世界の文豪である大トルストイが、救世軍的人道主義者として擔がれたり、通俗モラルのセンチメンタリストとして、女學生の涙劇的ヒロイズムの對象であつたりしたことを考へると、今から考へて全く馬鹿馬鹿しく滑稽
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