である。ゲーテも、ハイネも、ニイチェも、日本では早くから名が叫ばれて流行し、その文學的概論さへ解らない中に、既に「流行おくれ」となつてバタ屋の紙屑箱に賣られて行つた。昭和三年頃の或る雜誌に、近頃トルストイやドストイェフスキイを言ふのは時代遲れだと書いた人がある。大正九年頃の或る雜誌に、今頃ニイチェを論ずるのは流行遲れで古臭いが云々と書いてあつた。しかも昭和十年頃の最近になつて、それらのもつと古臭いゲーテやハイネが、漸く少しばかり本體を知られて來たのである。
 要するに日本の文壇は、過去に於て女學生と中學生との文壇だつた。最近漸く大學豫科の一年生位に入門して來た。そこで初めてドストイェフスキイが、眞の文學的本質によつて理解される機縁が來た。日本の再建される文壇は、再度もはや過去のやうに、流行のハシリを追ふ稚態を止め、正しい認識によつて外國の古典文學を讀むべきである。



底本:「萩原朔太郎全集 第九卷」筑摩書房
   1976(昭和51)年5月25日初版1刷発行
   1987(昭和62)年6月10日補訂版1刷発行
初出:「ヴレーミヤ 第二號」三笠書房
   1935(昭和10)年11
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