初めてドストイェフスキイを讀んだ頃
萩原朔太郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)空《から》
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初めてドストイェフスキイを讀んだのは、何でも僕が二十七、八歳位の時であつた。それ以前によんだ西洋の文學は、主にポオとニイチェとであつた。その他にもトルストイなど少し讀んだが、僕にはどうもぴつたりしないので、記憶に殘るといふほどでもなく、空《から》讀にして通つてしまつた。後々迄も影響し、僕の文學的體質を構成するほど、眞に身に沁みて讀んだ本は、ポオとニイチェと、それからドストイェフスキイの三つであつた。僕はポオから「詩」を學び、ニイチェから「哲學」を學び、ドストイェフスキイから「心理學」を學んだ。
僕がドストイェフスキイを讀んだ頃は、丁度「白樺」の一派が活躍して、人道主義が一世を風靡した時代であつた。その白樺派の人たちは、トルストイとドストイェフスキイとを竝立させて、文學の二大神樣のやうに崇拜して居た。僕がド氏の名を初めて知り、その作品を讀む機縁になつたのも、實は白樺派の人に教はつた爲であつた。しかしそれを讀んだ後に、僕は白樺派の文學論を輕蔑した。なぜなら
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