ド氏の小説とトルストイとは、氣質的に全く對蹠する別物であり、一を好む者は他を好まず、他を愛する者は一を取らずといふほど、本質的にはつきりした宇宙の兩極であつたからだ。單に人道主義といふ如き感傷觀で、二者を無差別に崇拜する白樺派のヒロイズムは、僕にとつてあまり子供らしく淺薄に思はれた。
僕が初めて讀んだド氏の小説は、例の「カラマゾフの兄弟」であつた。勿論飜譯であつたが、僕はすつかりこれに打たれてしまつた。あの厖大な小説を、二晝夜もかかつて一氣に讀み了り、夢から醒めたやうにぼんやりした。當時僕がどんなに深く感動したかは、その時讀んだ本の各頁に、鉛筆で無數の書き入れや朱線がしてあるので、今もその古い本を見る毎に、新しい追憶の感銘が興るほどだ。イワンもドミトリイも、すべての人物が面白かつたが、特にあの氣味の惡い白痴の下男と、長老ゾシマの神祕的な宗教觀が面白かつた。
次に讀んだ本は「罪と罰」であつた。これにはまたカラマゾフ以上に感激させられた。主人公ラスコリニコフの心理と言行とが、小説の最初から大尾まで、魔法のやうに僕の心を引き捉へて居た。當時僕はニイチェを讀んで居たので、あの主人公の大學
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