いのであるが、ドストイェフスキイの場合は、僕との氣質的類似の機縁で、特にそれがはつきりして居た。
 當時僕は詩を作り、初めて文壇的に出發したので、二三の友人と共に同人雜誌を發行して居た。それは「感情」といふ名前の雜誌で、同人には室生犀星、山村暮鳥等の詩人が居た。前にも書いた通り、この時代は白樺派の活躍した全盛時代だつたので、自然その影響を受けたらしく、山村君や室生君等やの詩にも、多少人道主義的傾向が現れ、トルストイズムの臭氣が濃厚だつた。然るに僕はトルストイが嫌ひであり、且つ白樺派のジャーナリズムに輕侮の反感を抱いて居たので、此等の友人等に向つて、僕は大いにドストイェフスキイの惡靈的神祕文學を推薦した。僕の推薦した意味は、人道主義などといふ淺薄のものを捨てて、ドストイェフスキイから深刻な文學を學べといふ意味だつた。
 トルストイの愛讀者であつた山村君や室生君は、直ちに僕の言をいれてドストイェフスキイを讀み始め、後には全く僕以上の熱愛讀者になつてしまつた。しかし本來僕と人間的氣質を異にし、且つ生理的にも健康性を多分に持つてる二人の詩人が、僕と同じ仕方でドストイェフスキイを讀む筈が無かつた
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