を抱いて居るのである。(君も知つて居る通り、私の求めてゐる哲學は、人間としての最も健全なる、最も明るい靈肉合致の宗教である。)
併しながら、若し君が私に就いてその感情生活の僞りなき記録である私の敍情詩を責めるならば、私は私の懺悔を君にかくれてするばかりである。何故ならば、敍情詩は私のためには「感情の告白」であつて「思想の宣傳」ではない。私の祈祷と私の懺悔とはいつも正反對である。(それは私にとつては悲しむべくまた恥づべきことだが。)
いま私の心は光に憧れる、しかも私の感情は闇の中にうごめいて居る。
君よ。私の悲しむべき矛盾を笑つてくれるな。すべてに於て、君は私をよく理解してくれるであらう。
ある女の友に。
私は今の生活に就いては、どういふ言葉で、どうお話したらよいでせう。
あなたは私の詩「夕暮室内にありて靜かにうたへる歌」をご覽でしたか。
ああした詩の表現する心もちこそ、近頃の私の祈祷的な内面生活を語るものです。
一人、薄暮の室内に坐つて冥想に沈む私の心は、あの白い寢臺の上に長く眠つてゐる悲しい人間の姿です。
私の心臟は疲れて、私の胴體は寢臺の上に横はつて居ます。
日暮の光線は硝子窓
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