、この悲壯なエゴイストも、ただひとつの光をみとめてゐる。なにものをも信ずることのできない人間の、くらい閉ざされたる靈の中にひそんでゐる、極めてかすかな光について、彼れ自身こんな意味のことを語つてゐる。
『おれはすべてを信じない。なにものをも愛することができない。けれども、おれはただあの青い空の色がすきだ。青い木の葉や新らしい土地のにほひが、たまらなくすきだ。若木のねんばりした幼芽をみると、おれは胸がいつぱいになつたやうな悦びをかんずる。
ただなんといふわけもなしにさうなのだ、なんといふ理窟もなしに、おれは青い空の色がすきなのだ。新らしい土地のにほひがすきなのだ。何故か知らないが、おれはあの幼芽のねんばりした卷葉をみるのがたまらなくすきなのだ』
ああ、なんといふ深刻な感傷であらう。
イワンのやうな不幸な人間――どうにもかうにもすることのできない近代の虚無思想家が、深い深い闇の底から、尚しも救ひを求めてやまないかうしたいぢらしい悲壯な心根をかんずるとき、私はしぜんと合掌するやうな氣分にならずには居られない。
青い空の色と、若木のねんばりした幼芽を愛する感情とは、まことに私どもの荒らされた畑
前へ
次へ
全67ページ中47ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング