』を信ずることが出來るにちがひない。(神を信ずることは人生の全目的であり、幸福の結論である)今では到底駄目だ。思ひもよらぬことではあるが私が死ぬまでには、いつかは[#「いつかは」に傍点]大丈夫であるといふ確信がある。それが私の『力』である。私はやつぱり空を握つたのではなかつた。
今では私は先生を『神』とは思つて居ない。併し私をキリストに導くところの預言者ヨハネのやうに考へて居る。先生は『光』そのものではないけれども『光』の實體を指し教へるところの先生[#「先生」に白丸傍点]である。
私のやうなひねくれた[#「ひねくれた」に傍点]そして近代科學や文明やのために疾患體にされた人間には、正直に『光』をみることは不可能である。私は今でもキリストを憎んでゐる。彼の教訓のまへに私はだだつ子[#「だだつ子」に白丸傍点]のやうな反感を抱いて居る。どんな立派な思想でも、どんな深酷な教訓でも、私を根本から救ふことは出來ない。然るに先生だけは私を憐んで救つて下さる、私の心に何かの種を落して下さる。私は私の心の中でその種を成長させることを樂しみにして居る。
幸福[#「幸福」に白丸傍点]の實體が愛[#
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