、私が『表現の祕訣』を握つたあかつきには、私は私の藝術を捨てることを躊躇しない。なんとなればそれ以上の藝術は、どんな人にとつても必要以上のぜいたくである。
私の詩の生命は、創作後一時間乃至一晝夜である。少なくともその時間だけは立派に光つて見える。併しあとになつて私はいつも騙された人の憤怒と慚愧と失望とを感ぜずには居られない。私は翌月の雜誌に印刷された自分の詩篇に對し、羞恥でまつかの顏をしながら取消しを申込むものである。
私は私の肉體と五官以外に何一つ得物をもたずに生れて來た。そのうへ私は書物といふものを馬鹿にして居る。そして何よりもきらひなことは『考へる』といふことである。(詩を作る人にとつていちばん[#「いちばん」に傍点]惡い病氣は考へる[#「考へる」に傍点]といふことである。中年の人はよく考へる[#「考へる」に傍点]。考へる[#「考へる」に傍点]といふことを覺えた時その人は詩を忘れてしまつたのである)。
そこで私の方針は、耳や、口や、鼻や、眼や、皮膚全體の上から眞理を感得することになつて居る。言はば私は生れたままの素つ裸で地上に立つた人間である。官能以外に少しでも私の信頼
前へ
次へ
全67ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング