哲人も往往にして詩を作る。ある觀念のもとに詩を作る。勿論、それ等の詩(?)は、形骸ばかりの死物である。勿論、生命がない。感動がない。
 然るに、地上の白痴《ばか》は、群集して禮拜する。白痴の信仰は、感動でなくして、恐怖である。

 下|品《ぼん》の感傷とは、新派劇である。中品の感傷とはドストヱフスキイの小説である。上品の感傷とは、十字架上の耶蘇である、佛の涅槃である、あらゆる地上の奇蹟である。

 大乘の感傷には[#「大乘の感傷には」に傍点]、時として理性がともなふ[#「時として理性がともなふ」に傍点]。けれども理性が理性として存在する場合には、それは觀念であり、哲學であつて『詩』ではない。
 感傷の涅槃にのみ『詩』が生れる。即ち、そこには何等の觀念もない、思想もない、概念もない、象徴のための象徴もない、藝術のための藝術もない。

 これはただの『光』である。

 七種の繪具の配色は『光』でない。『光』は『色』のすさまじい輪轉である。純一である。炎燃リズムである。そして『光』には『色』がない。

 色即是空、空即是色。

 藝術の生命は光である[#「藝術の生命は光である」に傍点]。
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