と言ふはよし、然れども太陽の象徴を畫くものを目して異端となすは甚だ良ろしからず。斯くの如き形式のものは象徴なり、斯くの如き形式のものは象徴にあらずと言ふは愈※[#二の字点、1−2−22]不可なり、恐らくは象徴詩をして遊戲に墮落せしめん。詩の生命は形式にあらずしてリズムにあれば也[#「詩の生命は形式にあらずしてリズムにあれば也」に傍点]。
藝術上の遊戲とは必然性なき創作を言ふ[#「藝術上の遊戲とは必然性なき創作を言ふ」に白ゴマ傍点]、
生活を畫くもの必ずしも眞實にあらず花鳥風月を唄ふもの必ずしも遊べるにあらず。
賭博《とばく》は社會觀念より遊戲と目さるるも賭博者自身は遊戲を行へるにあらず、彼は一心不亂なり、時に生命《いのち》がけなり、此の場合に於ては賭博もまた靈性を有す。
怠惰なる農夫にとりては耕作も遊戲なり、
所謂、遊戲は眞の生活にして、所謂、生活は多くの場合に遊戲なり。
遊戲の眞實、生活の虚僞を想へ。
遊戲を愛せざる且つ知らざるものに眞の生活あることなし、遊戲とは生命意識の具象化されたる躍動なり[#「遊戲とは生命意識の具象化されたる躍動なり」に傍点]。
あらゆる遊戲を賤辱したる
前へ
次へ
全67ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング