刹那にのみ詠嘆と祈祷はあり。

祈祷とは奇蹟を希願ふの言葉、而して詩は地上の奇蹟。

涙の甘くして混濁せるものを詠嘆と呼び、涙の苦くして透純せるものを感傷と呼ぶ。

詠嘆もまた幼年期の感傷と言ふを得べし、而して短歌の生命は詠嘆を出でず[#「短歌の生命は詠嘆を出でず」に傍点]、格調に捉はるれば也。

感傷が白熱するとき言葉は象徴の形式を帶ぶ、
あらゆる藝術の至上形式は象徴にあり[#「あらゆる藝術の至上形式は象徴にあり」に傍点]、
然りと雖も形式は結果にして目的にあらず[#「然りと雖も形式は結果にして目的にあらず」に傍点]、象徴のための象徴の如きは畢竟藝術上の遊戲にあらずして何ぞや。

象徴とは必ずしも不徹底|乃至《ないし》朦朧を意味するものにあらず、ロダンの藝術が如何に鮮明なる輪廓を有するかを想へ、ゴツホの藝術が如何に強烈なる色彩を有するかを想へ。然もたれか彼等に象徴なしと言ふものぞ。

刷毛を以てある種の畫面を洗ふは象徴の一手段なり、然れども全般の手段にあらず。象徴の意義をしかく縹渺模糊たる境地にのみ限らんとするは甚だしき偏見なりと言はざるべからず。煙と霧とを描くことをもて我の藝術なり
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