、この悲壯なエゴイストも、ただひとつの光をみとめてゐる。なにものをも信ずることのできない人間の、くらい閉ざされたる靈の中にひそんでゐる、極めてかすかな光について、彼れ自身こんな意味のことを語つてゐる。
『おれはすべてを信じない。なにものをも愛することができない。けれども、おれはただあの青い空の色がすきだ。青い木の葉や新らしい土地のにほひが、たまらなくすきだ。若木のねんばりした幼芽をみると、おれは胸がいつぱいになつたやうな悦びをかんずる。
ただなんといふわけもなしにさうなのだ、なんといふ理窟もなしに、おれは青い空の色がすきなのだ。新らしい土地のにほひがすきなのだ。何故か知らないが、おれはあの幼芽のねんばりした卷葉をみるのがたまらなくすきなのだ』
ああ、なんといふ深刻な感傷であらう。
イワンのやうな不幸な人間――どうにもかうにもすることのできない近代の虚無思想家が、深い深い闇の底から、尚しも救ひを求めてやまないかうしたいぢらしい悲壯な心根をかんずるとき、私はしぜんと合掌するやうな氣分にならずには居られない。
青い空の色と、若木のねんばりした幼芽を愛する感情とは、まことに私どもの荒らされた畑に殘された、ただひとつの生えざる苗[#「生えざる苗」に丸傍点]であらねばならぬ。
そしてそれをかんずるとき、私どもの悲しい絶望の底にも、實にはつきりとした力をかんずることができるのである。
思ふにこの苗は、いつかは私どものくらい心に生生とした芽を生やすときがくるであらう。そしてそこには新らしい人類のキリストがあらはれ、人は愛の目ざめの幸福に呼びおこされる。わたしは信ずる。あの悲しいイワンは、いつかはかならず救はれるにちがひない。わたしはそれを心から祈つてゐる。生えざる青空の苗に向つて祈つてゐる。
ADVENTURE OF THE MYSTERY
巧みな演奏者によつて奏された美しい音樂をきくとき、その旋律の高潮に達したとき、私共のしばしば味ふことのできるあの一種の快よい感覺と、その瞬間の誘惑にみちた世界の敍景に就いて。
凡そ音樂の展開する世界の眺望はたぐひなきものである。それは現實の世界では到底想像することもできない、一種の異樣な香氣とかがやきに充ちた世界である。
そこではあるひとつの不思議な情緒が、魔術のやうな魅惑を以て、私共の精神の全面を支配するやうに思はれる。
その
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