血痕はあり。
師走に及び、汝は恆に磨ける裸體である。汝が念念祈祷するときに、菓子の如きものの味覺を失ひ、自働電話機の如きさへ甚だしく憔悴に及ぶことあり。
汝は電線を渡りてその愛人の陰部に沒入に及ばんとし、反撥され、而して狂奔する。況んや爾がその肉親のために得るところの鯉魚は、必ずともに靈界天人の感應せる、或はその神祕を啓示するところにならざるべからず。
愛する兄弟よ、まことに師走におよび、爾は裸體にして氷上に匍匐し、手に金無垢の魚を抱きて慟哭するところの列傳孝子體である。
諸弟子。
諸信經の中、感傷品を超えて解脱あることなし。萬有の上に我れをあがめ、我れの上に爾曹のさんちまんたる[#「さんちまんたる」に傍点]を頌榮せよ。
今宵、あふぎて見るものは天井の蜂巣蝋燭、伏して見るものは女人淫行の指、皿、魚肉、雲雀、酒盃、而して我が疾患蝕金の掌と、輝やく氷雪の飾卓晶峯とあり。
みよ、更に光るそが絶頂にも花鳥をつけ。
ああ、各※[#二の字点、1−2−22]の肩を超え、しめやかに薫郁するところの香料と沒藥と、音樂と夢みる香爐とあり。
諸使徒。
われと共にあるの日は恆に連坐して酒盃をあげ、交歡淫樂して一念さんちまんたりずむ[#「さんちまんたりずむ」に傍点]を頌榮せよ。
蓋し、明日炎天に於て斷食苦行するものはその新發意、道心のみ、もとより十字架にかかる所以のものは我れの涅槃に至ればなり。亞眠。
[#地から5字上げ]―人魚詩社信條―
光の説
光は人間にある
光は太陽にある
光は金屬にある
光は魚鳥にある
光は螢にある
光は幽靈の手にもある。
幽靈の手は鋼鐵製《はがね》である、鋭どくたたけばかんかと音がする。
幽靈の手は我の手だ、我の手を描くものは、幽靈の手を描くものだ。然も幽靈を見るものは尠ない。
幽靈とは幻影である、あやまちなき光の反照である。
幽靈は實在である、妄想ではない。
夢を見ないものは夢の眞實を信じない。
幽靈を見ないものは幽靈の眞實を理解しない。
光は『形』でなくて『命』である。概念でなくてリズムである。光は音波でもある、熱でもある、ええてる[#「ええてる」に傍点]でもある。所詮、光は理解でなくて感知である。
光とは詩である[#「光とは詩である」に傍点]。
詩の本體はセンチメンタリズムである。
光は色の急速に旋※[#「えんにょう+囘」、第4水準2
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