訳さうと思ふならば、「花」は英語の flowers でなくして、日本語「花」といふ語をそのまま原語で用ゐる必要がある。また「鐘」は chimes や bells でなく、日本語の「鐘」でなければいけない。即ち要するに、原詩を原語で示す以外に、翻訳は絶対不可能だといふ結論になる。

 翻訳の可能性がある俳句は、連想の内容が極めてすくなく、詩趣が稀薄である代りに、理智的の説明を内容に有する俳句だけである。例へば芭蕉の句で「物言へば脣寒し秋の風」蕪村の句で「負けまじき角力を寝物語かな」の類。特に就中、加賀千代女等によつて代表される人情的月並俳句である。千代女の「蜻蛉つり今日は何所まで行つたやら」「身に沁みる風や障子に指の跡」「朝顔につるべ取られて貰ひ水」等の句は、言葉のイメーヂやヴィジョンから来る詩趣でなくして、人情的な内容からくる興味を主としたものであるから、この種の句ならば、翻訳を通じて外人に理解させることが出来るのである。故小泉八雲のラフカヂオ・ハーン氏は、日本人と日本の文化に対する唯一の最上の理解者であつたけれども、氏の鑑賞を以てしても、その愛読された俳句の程度は、上掲した加賀千代の
前へ 次へ
全17ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング