不可能性を痛感する次第である。
「花の雲鐘は上野か浅草か」といふ句を、かつて昔或る人が次のやうに英訳した。
[#ここから2字下げ]
The clouds of flowers
Where is the Bells from?
Ueno or Asakusa.
[#ここで字下げ終わり]
西洋人がこれを読んで「葬式の詩か?」と反問した。奇抜なので聞いてみると、成程もつともの次第であつた。即ち「花」といふ言葉は、日本人の読者にとつて、直ちに桜花を連想させるのに、西洋人の読者にとつては、ダリアやチューリップやシネラリヤを連想させる。そこで clouds of flowers は、さうした西洋草花の群生してゐる花壇か、もしくは花輪や花束の集団をイメーヂさせる。また「鐘」といふ語は、日本人にとつては仏教寺院の幽玄な梵鐘を連想させるのに、西洋人にとつては耶蘇教寺院の賑やかな諧音的ベルを連想させる。そこで今、この訳詩を読んだ西洋人の心象には、耶蘇教寺院のベルが鳴つてる町の通りを、美しい花輪や花束の群が、雲のやうに行列して行く光景、即ち葬式のイメーヂが浮んだのである。
故にこの俳句を、もし正当に
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