と訳されてゐる。しかしながら Real といふ言葉は外国語の意味に於いては、単なる「現実」を指すのでなく、もつと深奥な哲学的の意味、即ち或る「真実のもの」「確実なもの」、架空の幻影や仮象でなくして、正に「実在するもの」といふやうな意味を持つてゐる。然るに日本の文壇では、これを単に、「現実」と訳したことから、日本の所謂レアリズムの文学が、単なる日常生活の事実を書き、無意味な現実を平面的に記述するに止まるところの、所謂「身辺小説」となつてしまつたのである。そしてこんなレアリズムの文学は、西洋に決して無く、一つも見ることが出来ないのである。Naturalism を、「自然主義」と訳したことも、同様にまた誤訳であつて、それが日本の文学を畸形にし、特殊な写生文的小説を流行させた。
 真実の意味を言へば、外国語は決して訳することが出来ないのである。単に類似の言葉をもつて、仮りに原語に相当させ、ざつと間に合はせておくにすぎない。然るに日本人は、歴史的に思想を持たない国民であるから、本来哲学的の思想を根とする西洋文学の輸入に際して一もそれに適応する原語がなく、日本語字典のあらゆる言海を探した後で、止む
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