そん》氏の研究等を参照せよ。)
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かく日本の詩は、内容上にも形式上にも、西洋と全く反対なる、背中合せの特色によって発展して来た。そしてこの事情は、全く我々の国語に於ける、特殊な性質にもとづくのである。元来、言語に於ける感情的な表出は、主として語勢の強弱、はずみ、音調等のものによるのであって、アクセントと平仄とが、その主なる要素になっている。然るに日本の国語には、この肝腎《かんじん》なアクセントと平仄が殆どないため、音律的には極めて平板単調の言語にできている。特に純粋の日本語たる、固有の大和言葉がそうである。試みに我々の言語から、すべての外来音たる漢語一切を除いてみよ。後に残った純粋の大和言葉が、いかに平板単調なのっぺら[#「のっぺら」に傍点]棒で、語勢や強弱の全くない、だらだら[#「だらだら」に傍点]した没表情のものであるかが解るだろう。
しかしこうした没音律の日本語にも、その平板的な調子の中に、或る種のユニックな美があるので、これが和歌等のものに於ける、優美な大和言葉の「調べ」になっている。けれどもこの特殊の美は、極めてなだらか[#「なだらか」に傍点]な女性的な美である故《ゆえ》に、或る種の抒情詩の表現には適するけれども、断じて叙事詩の表現には適合しない。叙事詩は男性的なものであるから、極めて強い語勢をもった、音律のきびきび[#「きびきび」に傍点]した音律でなければ、到底表現が不可能である。アクセントもなく平仄もない、女性的優美の大和言葉は、いかにしても叙事詩の発想には適しない。これ実に日本に於て、昔から真の[#「真の」に白丸傍点]叙事詩《エピック》が無い所以《ゆえん》である。(此処《ここ》で「真の」と断わるのは、多少それに類したものは、上古にも後世にもあったからだ。)
思うに日本語ほど、この点で特殊であり、非叙事詩的《アンチエピカル》な国語は世界に無かろう。西洋の言語は、どこの国の言語であっても、ずっと音律が強く、平仄やアクセントがはっきり[#「はっきり」に傍点]している。特にその叙事詩的《エピカル》のことに於て、*独逸《ドイツ》語は世界的に著るしい。独逸語の音律は、ニイチェが非難した如く軍隊の号令的で、どこまでも男性的にきびきび[#「きびきび」に傍点]しており、音語が挑戦《ちょうせん》的に肩を張ってる。(実に独逸という国は言語からして叙事詩的《エピカル》に出来上っている。)東洋に於てさえも、支那語は極めてエピカルである。支那語は古代の漢音からして、平仄に強くアクセントがはっきり[#「はっきり」に傍点]している。故に支那の文学は、昔から叙事詩的な情操に富み、詩人は常に慷慨《こうがい》悲憤している。吾人が日本語によってこの種の表現をしようとすれば、いかにしても支那音の漢語を借り、和訳された漢文口調でする外はない。純粋の大和言葉を使った日には、平板的にだらだら[#「だらだら」に傍点]とするばかりで、どんな激越の口調も出ない。(大和言葉によっては、決して革命は起らない。)明治の改革は、実に幕末志士の漢文学からなされたのである。
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* 独逸語と支那語とが、発韻に於て多少似ていることに注意せよ。今日我が国の軍隊等で、少許《すこし》のことを「じゃっかん」と言い、物乾場のことを「ぶっかんじょう」と言い、滑稽《こっけい》にまで無理に漢語を使用するのは、発音に於けるエピックな響を悦《よろこ》ぶのである。著者はかつて「郷土望景詩」の或る詩篇で、一種の自己流な漢文調から、独逸語に似た詩韻を出そうと試みた。
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かくの如く日本語は、本質的に非叙事詩的な国語であって、音律に強弱がなくアクセントがない。故に日本語の詩文にあっては、西洋や支那で発育している、真の形式的な韻文学というものが、始めから全く存在されない。日本の詩歌に於ける様式は、前にも言う通り極めて非詩学的のものであって、厳正には韻文という外国語に、ぴったり適当されないほどのものだ。すくなくとも日本の詩は、西洋の「韻文《バース》」という言語がもっている特殊な修辞的なクラシズムに適応すべく、あまりに素朴で散文的に感じられる。畢竟《ひっきょう》日本の詩は、西洋派の「韻文」という語にぴったり[#「ぴったり」に傍点]しないで、昔から称呼される「謡いもの」に符節するのだ。
そこで「謡いもの」を韻文と言う意味なら、日本にも一種の韻文学が有るわけだ。例えば平家物語等がそうであって、これ等はその内容上から、西洋の叙事詩と類属さるべき文学だろう。しかし平家物語を韻文学として批判するには、その形式のあまりに単調一律であり、韻文価値のないことによって退屈する。あの単調な、どこまで行っても七五調を繰返している文学が、もし韻文と呼ばれるものなら、世の中に韻文ぐらい退屈なものは無かろう。畢竟するに平家や謡曲等の詩文は、琵琶《びわ》その他の音曲によって歌謡される、文字通りの「謡いもの」であって、独立した文学としては、韻文価値のないものである。
独立した文学として、真に韻文価値を有するものは、日本に於て和歌俳句等の短篇詩があるのみである。これ等の詩には、西洋流の形式韻律がない――有っても見るに足りないほど素朴である――けれども、その格律の内部に於て、或る特殊な*有機的の自由律、即ち歌人の所謂《いわゆる》「調べ」があって、不思議に魅力のある文学的音楽を奏している。そしてこの限りなら、日本の詩の韻文価値が、必ずしも外国に劣りはしない。しかしながら困ったことには、それが短篇詩にのみ限定されて、長篇詩には拡大され得ないのである。この日本語の韻律的不自由について、少しく次に説明しよう。
日本語には平仄もなくアクセントもない。故に日本語の音律的骨骼は、語の音数を組み合す外にないのであって、所謂五七調や七五調の定形律が、すべてこれに基づいている。然るにこの語数律は、韻文として最も単調のものであり、千篇一律なる同韻の反復にすぎないから、その少しく長篇にわたるものは、到底|倦怠《けんたい》して聴《き》くに堪えない。故に古来試みられた種々の長篇韻文は、楽器に合せる歌謡の類を別にして、悉《ことごと》く皆文学的に亡《ほろ》びてしまった。例えば万葉集に於て試みられた五七調の長歌――それは多分支那の定形律から暗示されて創形した――は、一時短歌と並んで流行し、丁度明治の新体詩の如く、大いにハイカラな新詩形として行われたが、その後いくばくもなく廃《すた》ってしまった。後にまた古今集の時代になって、一時七五調の今様《いまよう》が流行したが、これもまたその単調から、直ちに倦《あ》きて廃れてしまった。そして最後に、明治の新体詩が同様な運命を繰返した。
かく日本に於ては、古来から種々の韻文が試みられ、一時的に流行しては、たちまち倦かれて廃ってしまう。ただ独《ひと》りこの間にあって、昔から一貫した生命を有するのは、三十一音字の短歌である。この短詩の形式は、五七律を二度繰返して、最後に七音の結曲《コダ》で終る。それは語数律の単調を避け得べき、最も短かい形式である。此処には同律の繰返しが二度しかないから、何等倦怠を感じさせないばかりでなく、却《かえ》ってその反復から、快美なリズミカルの緊張を感じさせる。けだし日本語の音律としては、これが許された限りに於ける、最も緊張した詩形であろう。
故に日本にあっては、短歌だけが不朽の生命を有している。これ以上長い詩形は、いくら試みても駄目である。試みに短歌の上に、も一つだけ五七音の反復を足してみようか。既にもう緊張がぬけ、単律のダルさを感ずる。そしてさらに今一つを加えてみようか。今度は全く今様や新体詩の退屈になってしまう。故に許され得る最後の詩形は、日本語として短歌の外に有り得ない。後世に生れた俳句に至っては、さらにまた短歌の半分しかない。そして短いものほど、日本語の詩としては成功している。
しかし吾人の悩みは、いかにもして日本語の音律から、より長篇の詩が作りたいと言うことにある。おそらくこの同じ悩みは、昔の詩人たちも感じていた。(さればこそ古来種々の新しい詩形が工夫されたのだ。)ではこの悩みを解決すべく、我々はどうしたら好いのだろうか? 先に言った短歌の内部的有機律を、そのまま長篇の詩に拡張したらどうだろうか。否。それは無効である。なぜなら詩の骨骼たる外形律が、既に単調を感じさせる場合に於て、内部的なデリケートな繊維律は、何等の能力をも有し得ないから。それでは五七や七五の代りに、他の六四、八五等の別な音律形式を代用したらどうだろうか。考えるまでもなく、これはどっちも同じことだ。今日西洋音楽に唱歌するため、しばしば六四調や八五調の韻律されたものを見るけれども、その単調なことは何《いず》れも同じく、却って七五音より不自然だけが劣っている。
そこで最後に考えられることは、一つの詩形の中に於て、五七を始め、六四、八六、三四等の、種々の変った音律を採用し、色々混用したらどうだろうということだ。この工夫は面白い。だがそれだったら、むしろ始めから韻律を否定するに如《し》かずである。なぜなら一つの文の中で、八六、三四、五七等の、種々雑多な音律を取り混ぜるのは、それ自ら散文の形式だからだ。韻文の韻文たる所以《ゆえん》のものは、一定の規則正しき法則《ルール》によって、反復や対比やの律動を持つからである。雑多の音律が入り混った不規則のものだったら、すくなくとも辞書の正解する「韻文《バース》」ではない。即ちそれは「散文《プローズ》」である。
故にこの最後の考は、詩の音律価値を高めるために、逆に詩を散文に導く――すくなくとも散文に近くする――という、不思議な矛盾した結論に帰着している。そして実に日本の詩のジレンマが、この矛盾したところにあるのだ。何となれば吾人の国語は、正則に韻律的であるほど退屈であり、却ってより不規則になり、より散文的になるほど変化に富み、音律上の効果を高めてくるから。そこで「韻文」という言語を、かりに「音律魅力のある文」として解説すれば、日本語は散文的であるほど韻文的である[#「散文的であるほど韻文的である」に丸傍点]という、不思議なわけのわからない没論理に到達する。
しかも日本の詩の起元は、事実上にこの没論理から出発した。即ち前に言った通りに、日本詩の歴史は自由詩(不定形な散文律)に始まっている。そしてこの自由律の詩は、後代の定形された韻文に比し、一層より[#「より」に傍点]自然的で、かつ音律上の魅力に於ても優《すぐ》れている。すくなくとも原始の詩は、後代の退屈な長歌等に比し、音律上で遙《はる》かに緊張した美をもっている。けだし原始の自由律は、日本語の本然的な発想であったのに、後代の定形律は、支那の模倣でないとしても、多少|或《あるい》は不自然の拘束であったように、今日から推測され得るところがあるからだ。しかしこの議論は別としよう。とにかく日本語の音律を以てして、短歌俳句以上の長い詩を欲するならば、いかにしても散文律の自由詩に行く外、断じて他に手段はないのである。
此処に於て吾人は、日本詩壇に於ける最近の自由詩が、いつ如何《いか》にして始まったかを、当初の歴史について調べてみよう。現代詩壇に於ける自由詩は、その始め、実に新体詩から解体して、次第に済《な》し崩《くず》しになったのである。即ちあの新体詩が、反復律の退屈から漸《ようや》く人々に倦かれてきた時、薄田泣菫《すすきだきゅうきん》その他の詩人が、これに音律の変化と工夫を求めるため、六四、八六等の破調を加え、次第に複雑にして遂に蒲原有明《かんばらありあけ》等に至ったのである。故に日本に於ける自由詩の発生は、欧洲に於けるそれと全く事情を異にしており、むしろ正反対であることが解るだろう。欧洲の自由詩は、高蹈派等のクラシカルな形式主義に反抗して、音律の自由と解放とを求めるために興ったのである。然るに日本は反対であり、却って新体詩の単調に不満し、音律の複雑と変化を求めるた
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