活動写真が、実に涙の流れている実況までも、大映しにして見せる丁寧な写実主義と比較すれば、東西地球の相《あい》距《へだた》ること、正に煙外三万里の感がある。
 美術に於てもまた同様である。西洋の絵画や彫刻やは、部分的なるデテールの描写を丹念にし、実物の風景や人物やが、真にそこにある如き生き写し[#「生き写し」に傍点]を主眼としている。然るに日本|支那《しな》等に於ける美術は、始めから全くかかる写実を無視し物それ自身が有する本質的なる実有相を、直ちに全体の意味として捉《とら》えてしまう。故に例えば東洋の絵は、竹を描いても虎を描いても、その植物や動物が持っているところの、真の実有相なる直情性や猛獣性やを、形以上のメタフィジックな本質から直観し、意味それ自体を直接に強調している。日本の浮世絵の表現も、同じく本質に於て象徴主義で、西洋の油画と根本的にちがっている。しかし能と歌舞伎劇とを比較する時、後者がより[#「より」に傍点]写実的であるように、他の南画や支那風の墨絵に比して、浮世絵がより[#「より」に傍点]写実的であるのは争われない。そしてこの点から、浮世絵の程度の象徴主義が、漸くそれの媒介で西洋へ輸出された。換言すれば西洋人は、日本の浮世絵の刺激から、始めて象徴に目が覚めたのだ。
 西洋に於て、始めて象徴主義が意識的に自覚されたのは、最近十九世紀末葉のことであった。しかも同時に前後して、芸術の二つの群から主張された。即ち一は詩壇に於けるマラルメ等の象徴派で、一は美術界に於ける後期印象派の運動である。この後の者について言えば、彼等の美学は明らかに日本の浮世絵から啓示されてる。それは物の形体を見ずして本質を見、部分のデテールを描写しないで、直ちに物それ自体の実有相を表現する。特にこの派の巨匠の中、セザンヌは観照に於て最もよく徹底している。彼は物質の本有する形態感、重量感、触覚感等のものを、絵画によって三次元的の空間に描こうとした。吾人は彼の描いた一つの椅子から、すべての物質に遍する本有の実在を直覚する。セザンヌは一の哲学(形而上学)である。
 これに対して、一方詩壇に掲げられた「象徴」の観念は、極めて曖昧朦朧《あいまいもうろう》とし、意識の漠然たる謎《なぞ》で充たされていた。彼等は強《し》いて詩語を晦渋《かいじゅう》し、意味を不分明の中に失わせて、自ら象徴だと信じていた。けだし彼等にあっては、詩操の宗教感について言われる象徴と、表現の観照について言われる象徴とが、認識不足の漠然たる霧の中で、曖昧に混同していた為である。しかしながらとにかく、彼等は近代詩に象徴の自覚をあたえ、爾後《じご》の詩派に感化と暗示とをあたえたことで、永く記念さるべき功績を残している。故に彼等の「象徴派」は亡《ほろ》びても、象徴主義そのものが不易であること、あたかも「浪漫派」と浪漫主義の関係に同じである。
 最後に注意すべきは、最近の新しい小説(特に仏蘭西《フランス》等の短篇小説)が、描写に於て著るしく象徴的になって来たことである。一方で詩が自由詩となった為に、詩と小説とが極めて接近し、外観に於て殆《ほとん》ど区別がつかないようになってきた。しかしながら区別は、やはり判然とせねばならぬ。詩は単に象徴の故に詩でなくして[#「詩は単に象徴の故に詩でなくして」に丸傍点]、情象の故に詩なのである[#「情象の故に詩なのである」に丸傍点]。
 丁寧に言えば、象徴が知的の「頭脳《ヘッド》」によってされないで、主観の感情によって温熱されたる、心情《ハート》の意味としてされねばならない。そうでなく、象徴が純に客観的の観照によってされるならば、それは小説に属して詩に属さない。新しき文学の批判にあっては、この一つの線を判然とする必要がある。


     第六章 形式主義と自由主義


 詩に於ては、音律が重大の要素であり、それが殆《ほとん》ど詩的形式の骨組をすることは、前に既に述べた通りだ。しかし詩が音律を要求するのは、感情の強き表出を求めたためで、必ずしも拍節形式のための要求ではない。もちろん、言語の発想はそれが「音」として響く限り、大体に於て音楽の原則に支配さるべく、必然に決定されているには違いないが、所詮《しょせん》文学は文学である故《ゆえ》に、言語が必ずしも音楽の規約と一致し、楽典の定める韻律の形式と、常に機械的に規則正しく符節するということは考え得ない。もしかかる符節があるとすれば、それはむしろ偶然であり、百に一の場合と言わねばならぬ。
 然るに不思議なことは、古今すべての詩の約束が、この偶然の場合を法則とし、音楽に於ける韻律の形式を、そのまま正則に言語に移して、所謂《いわゆる》「韻文」を成形していることである。実に歴史の長い間、詩はすべて韻文の形で書かれ、この形式の故にのみ、詩が詩であるとして考えられた。(したがって「散文」という語は、その形式の故に移されて、内容上での「非詩」を指してる。所謂「散文詩」という言語の矛盾は、この内容と形式との、言語上の混乱から生じているのだ。)そもそも不思議は、古来すべての詩の発生が、何故《なにゆえ》にかかる機械的なる、法則されたる韻律の形式を取ったかと言うことである。
 これに対する答解は、しかし極《きわ》めて簡単である。だれもよく知る如く、詩は昔に於て音楽と共に――おそらくは尚舞蹈と共に――節《ふし》づけされた手拍子、もしくは楽器に合せて歌われたものである。ゆえに詩の発生に於ける形式は、必然に音楽や舞蹈やと一致したリズムの機械的反復を骨子としている。そしてこの発生に於ける形式が、そのまま後代にまで伝統され、後に修辞学の進歩によって、今日の韻文となったものに外ならない。しかしながら元来言えば、詩が既に音楽から独立し、純然たる文学となった今日、尚《なお》かつ原始の発生形式たる、韻律《リズム》の機械則を守る必要はないであろう。何故に我々は、今日尚アカデミックな詩学を有し、韻律学の煩瑣《はんさ》な拘束を持っているのか。
 今日の所謂「自由詩」が、実にこの疑問から出発した。彼等は韻文の形式に窮屈して、より拘束なき自由の音楽を呼ぼうとした。しかしながら今日、自由詩は尚詩壇の「一部のもの」にすぎない。すくなくとも西洋に於ては――日本はこの際、特殊の事情によって例外する。――自由詩は全般のものでなくして、或る一部の詩人に属するもので、爾余《じよ》の大半の詩人たちは、今日尚規則的なる、韻文の形式を捨てないのである。何故だろうか? 彼等の頭脳が古く頑冥《がんめい》な為であろうか。否。現代の最も進歩した詩人すらが、しばしば厳格なる韻律形式を固守している。かの象徴派の詩人にして、欧洲に於ける自由詩の開祖と目されるヴェルハーレンすらが、後には自由詩を廃棄して、最も形式的なる押韻詩の作家になったのである。
 かく規則的なる韻律詩が、今日尚自由詩と相対立して、詩の形式を二分しているところを見ると、何等かそこには、定則韻文の有する独自の意義が感じられる。すくなくとも今日の定律詩人は、単なる因襲の慣例によって、無自覚にクラシックな韻文を書いているのではない。何等かそこには、自由詩によって満足されないところの、別の適切な表現を感じているからである。では彼等の定律詩人が感じている、特殊な表現的満足感は何だろうか? けだし彼等は、詩の自由主義に不満して、*形式主義の精神に美を感じているからである。
 さればこの質問は、必ずしも今日の詩壇に起った問題でなく、ずっと昔、未だ自由詩などというものがなかった時から、既に古くあった問題である。なぜなら昔に於ても、韻文中での形式派と自由派とは、同じ精神で対立していたから。たとえば古典の詩で、叙事詩と抒情詩《じょじょうし》とがそうであった。叙事詩も抒情詩も、昔にあっては共にひとしく定形詩で、詩学の定める法則を遵守していたにかかわらず、概して叙事詩は形式主義の韻文で、押韻の法則が特別に厳重だった。そして反対に抒情詩は、この点が寛大であり、比較上での自由主義に精神していた。
 また近代の詩壇にあっても、既に自由詩以前に於て、この同じ精神が対立していた。たとえば浪漫派や象徴派の詩人等は、概して自由主義の立場に居り、詩学上の煩瑣な拘束を嫌《きら》っていた。反対に高蹈派の詩人等は、典型的なる形式主義の韻文を尊重していた。最近に至って、自由詩それ自体の部門にすら、またこの二派の対立があることは、我が国今日の詩壇を見ても解るだろう。日本に於ける最近詩壇は、後に他の章で詳説する如き事情によって、一も定律詩が存在せず、すべて皆自由詩のみであるけれども、そこにはまた比較上での形式主義と自由主義とが対立し、同じ自由詩の中で別れている。
 されば上述の質問は、結局して形式主義と自由主義との、美の二大|範疇《はんちゅう》を決定すべき、根本の問題に触れねばならない。そしてこの問題を釈《と》かない中は、吾人《ごじん》は未だ詩について、真に何事の知識も持たないのである。なぜなら詩の表現は、実にこの矛盾した反対の精神が、機微の黙約するところにかかっているから。そもそも形式主義の精神するところはどこにあるか。自由主義の根拠するところはどこにあるか。以下これについて考察を進めて行こう。

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* 芸術の形式は内容の反映である故に、本来言えば「形式主義」とか「内容主義」とかの観念は、芸術上に於てノンセンスである。然るにこうした言語が存在するのは、この場合で考えられている「形式」が一般に於ける「表現そのもの」を指すのでなく、何等かの数理的法則によって規定されているところの、特殊なクラシカルな形式を指すからである。したがってこの形式主義に対する内容主義は、それ自ら表現上の自由主義を意味している。自由主義と内容主義とは、芸術上の言語に於てイコールである。
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     第七章 情緒と権力感情


 吾人《ごじん》が普通に「感情」と言ってるものは、気分色合を異にしているところの、二つの別趣のものを包括している。一つは所謂《いわゆる》「情緒《センチメント》」であって、優雅に、涙もろく、女性的な愛情に充ちたものである。これに対して他の一つは、男性的な気概に充ち、どこかに勇気を感じさせ、或る高翔感《こうしょうかん》的な興奮を伴うもので、普通に「意志的感情」もしくは「*権力感情」と呼ぶものである。
 そこで人間のすべての詩は、所詮《しょせん》この二つの感情の中、何《いず》れかを発想するものに外ならない。古来歴史上に於けるすべての詩は、これによって情操の分類から、判然として二つの者に別れている。即ち前に他の章で言ったように、古代|希臘《ギリシャ》の詩界に於ける、「叙事詩」と「抒情詩」との対立がこれである。叙事詩はホーマーのイリアッドが代表し、抒情詩はサッホオの恋愛詩が代表している。そして前者が、かの歴山《アレキサンドル》大王やシーザアやの、古代の英雄によって愛誦《あいしょう》され、彼等の少年時代に於て、早くそのヒロイックな権力感情を養成した時、後者はより[#「より」に傍点]民衆的な青年の間に読まれ、幾多のセンチメンタルな恋愛主義者を養成した。そしてこのホーマーとサッホオとの対立が、後に文芸復興期に移ってから、さらにダンテやミルトンの荘厳な神曲叙事詩と、一方にペトラルカやボッカチオ等の、民衆的な情痴抒情詩の対立になったことは、前に同じ章で述べた通りである。
 実にこの叙事詩《エピック》と抒情詩《リリック》の対立は、人間に於ける二つの感情――情緒と権力感情――との二大分野を示すもので、人文の歴史がある限り、たといその形式は変貌《へんぼう》しても、実質的には何等かの新しき様式で、不易に対立すべきものである。しかしながら時代と文明の変移によって、或る時には一方の者が「正流」となり、他方のものが「反動」となることが珍らしくない。そしてこの場合に、反動の地位に置かれたものは、その表面の意志を抑圧される結果として、或る変形したる、歪《ゆが》みたる、逆
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