れている。或る人は叙事詩を女性、抒情詩を男性と言い、或る人は反対に叙事詩の方が男性だと主張している。かく人によって意見が異なるのは、叙事詩に対する解釈がちがうからだ。即ち一方では、それが表面的に「事件を叙述する詩」と解され、一方では同じ言語が、詩の本質的な特色からして、英雄感的のものと解されている。
 そこで前者の語解によれば、叙事詩は女性的のものに見られてくる。(なぜなら女性というものは、すべて事件の細々《こまごま》とした描写を好むもので、真の抒情詩的表現を持たないから。この意味でなら女の詩は、素質的に皆叙事詩である。)反対に後の解釈では、叙事詩が男性に属してくる。著者はこの書物に於て、性の本質上の特色――即ち後の方の意味――で、以下叙事詩という言語を使用する。
[#ここで字下げ終わり]


     第五章 象徴


        1

 文壇という世界は、いつも認識上に霧のかかった、不思議な朦朧《もうろう》とした世界である。そこでは絶えずいろいろな観念が創造され、いろいろな言語が使用されるにかかわらず、一も意味のはっきり[#「はっきり」に傍点]とした解釈がなく、定義の確立した観念も出来ない中に、次から次へと流行が変って行き、空《むな》しく取り散らされた多くの言語が、無意味不可解の闇《やみ》の中で、永く幽霊のように迷っている。此処《ここ》に説く「象徴」という観念も、この怨《うら》めしき亡魂の一つであって、かつてずっと早くから我が国に輸入され、一時詩壇で流行したるにかかわらず、早く既に廃《すた》ってしまい、しかも今日|尚《なお》、言語は不可解のままに残されている。
 抑々《そもそも》「象徴」とは何だろうか? 一言にして言えば、象徴の本質は「形而上《メタフィジック》のもの」を指定している。本質に於て形而上的なるすべてのものは、芸術上に於て象徴と呼ばれるのである。然るに形而上的なるものは、主観の観念界にも考えられるし、客観の現象界にも考えられる。換言すれば、時間上に考え得られる実在もあり、空間上に考え得られる実在もある。これを芸術上で見れば、前者は人生観のイデヤにかかわり、後者は表現上の観照にかかわっている。そこで象徴という言語にも、二つの異った意味が生じてくる。先《ま》ず前のものから説明しよう。
 先に他の章(人生に於ける詩の概観及び芸術に於ける詩の概観)で述べたように、詩的精神の第一義感的なるものは、何よりも宗教情操の本質と一致している。その宗教情操の本質とは、時空を通じて永遠に実在するところの、或るメタフィジカルのものに対する渇仰で、霊魂の故郷に向えるのすたるじや[#「のすたるじや」に傍点]、思慕の止《や》みがたい訴えである。そこでこの宗教感のメタフィジックを、特に観念上に於て掲げたものを、芸術上で普通に「象徴派」と称している。即ち先の章で述べたように、散文ではポオの小説、メーテルリンクの戯曲などが、それの代表として思惟《しい》されている。然るに詩壇に於ては、特にこの観念を意識的に旗号した一派のものが、十九世紀末葉の仏蘭西《フランス》詩壇に現われたので、世人は特に彼等を象徴派の詩人と呼んでいる。
 しかしながら前言う通り、詩的精神の第一義感なるものは、すべてこの種の宗教情操に基調している故《ゆえ》、これを称して象徴と呼ぶならば、一切にわたる詩の最高感は、悉《ことごと》く皆象徴でなければならない。例えば前に他の章(抽象観念と具象観念)で言ったように、芭蕉《ばしょう》のイデヤしたところのもの、石川|啄木《たくぼく》が生涯を通じて求めていたもの、西行《さいぎょう》が自然の懐中《ふところ》に見ようとしたもの、ゲーテが観念に浮べていたもの、李白《りはく》やヴェルレーヌが思慕したもの、ランボーを駆って漂浪の旅に出したもの、シェレーが愁思郷に夢みたもの等、悉く皆この不可思議なる「霊魂の渇《かわ》き」であって、認識の背後にひそむ、或る未可知のものへの実在的|思慕《エロス》に外ならない。
 実にすべての詩人はこれを知っている。詩を思う心は一つの釈《と》きがたい不思議であって、何物か意識されない、或る実在感への擽《こそ》ばゆき誘惑である。実に詩それ自体の本質感が、始めから宗教の情操に立っており象徴そのものに精神している。故に真正の意味に於ては、詩壇に「象徴派」という言語はあり得ない。すべての一義的なる詩は、どんな詩派の傾向に属するものでも――浪漫派でも、印象派でも、未来派でも、表現派でも、――必然的に皆霊魂の深奥する象徴感に触れる筈《はず》だ。そこで詩壇の所謂《いわゆる》象徴派とは、一般についての象徴精神そのものを指すのでなく、特にこの概念を掲げたところの、マラルメ一派の特殊な詩風(朦朧詩風)について指してることを、最初に先ず明らかに話しておこう。
 さて象徴というこの言語は、一方また表現上から、観照のメタフィジックについても言われている。本章に於て、吾人《ごじん》は主としてこの方面から、象徴の語意を明らかに解説したいと思っている。なぜなら象徴の解説は、従来多くの人によって、この方面から試みられているにかかわらず、一も満足をあたえるものがないからだ。単に多くの人々は、象徴を以て一種の「比喩《ひゆ》」「暗示」「寓意《ぐうい》」の類と解している。もちろんこの解説は、必しも誤っているわけではない。だが極《きわ》めて浅薄であり、少しも象徴芸術の本質に触れていない。そして一層|滑稽《こっけい》なのは、象徴を以て曖昧《あいまい》朦朧とさえ解釈している。(実に仏蘭西の象徴派がそうであった。)かかる見当ちがいの妄見《もうけん》や、皮相な上ッつらの辞書的俗解を一掃して、吾人は此処に「象徴そのもの」の本質観を、だれにも解りよく、判然明白に解説しようと考えている。

        2

「認識する」ということは、「意味を掴《つか》む」ということである。そして意味には「感情の意味」と「知性の意味」の二つがあり、芸術の世界に於て相対していることは前に述べた。しかしその何《いず》れにせよ、認識することなしに芸術は有り得ない。なぜなら芸術は表現であり、そして表現は観照なしに有り得ないから。
 では認識するということ、即ち「意味を掴む」ということは、一体どういうことなのだろうか? これについて答えることは、カントの認識論に譲っておこう。要するに意味の世界は、人間の先験的主観による、理性の範疇《はんちゅう》によって創造されるものである。しかしながら認識の様式には、二つの異った方法がある。一は部分について見る仕方で、一は全体について見る仕方である。哲学上に於ては、この前者を抽象的認識と言い、後者を直感的認識と称している。だが芸術家の住む直感的観照の世界に於ても、また本質に於てこれと同じ二つの異った認識の様式があるのである。例えば、小説家の観照は前者に属し、詩人の直感は後者に属する。以下この認識様式の相違について、少しく説明を試みよう。
 自然主義の教えた美学は、世界をその有るがままの姿に於て、物理的没主観の写実をせよと言う。かかる写実主義の愚劣であり、啓蒙《けいもう》としての外に意味がないことは、前にも既に説いたけれども、尚《なお》もう一度根本的な駁撃《ばくげき》を加えておこう。芸術がもし、実にこの仕方で行くならば、芸術家は主観を有する人間でなく、無機物の写真器械と同じことだ。第一かくの如くば、表現は何を語り、何を意味しようとするのか解らない。科学といえども、単に「有るがままの世界」を「有るがままに見ている」のでなく、事実や現象の背後に於て、物質の法則する普遍の原理を見ようとするので、此処《ここ》に即ち科学の科学たる「意味」があるのだ。芸術の本質も同様であり、この現象する人生の背後に於て、何等かの深遠なる意味を掴え、それを表現することに意義があるのだ。自然主義の説く如くば、芸術はノンセンスのノンセンスにすぎないだろう。
 それ故《ゆえ》に芸術の主眼点は、単に個々の事実や現象やを、無意味に書き並べることにあるのでなく、むしろこれ等の背後にある、真の「意味そのもの」を直覚し、直ちにこれを表現することに無ければならぬ。ではこの種の表現をするために、どんな認識の手段を取ったら好いだろうか。それには第一、自然主義的な観察を捨ててしまい、全くそれと反対なる、別の認識によらなければ駄目である。換言すれば、対象に於ける一々の部分を忠実に写生しないで、物をそれの全体から、本質に於て直覚してしまうのである。
 この全体と部分に於ける、認識の様式観を説明するため、次にベルグソンの比喩《ひゆ》を借りて来よう。実にベルグソンの哲学は、この点に於て絶対観を高調している。曰《いわ》く、ノートルダムの寺院を写す画工は、その建築の部分について、個々の一つ一つの印象をスケッチし、後にこれを綜合《そうごう》して一つにしても、決して寺院そのものの真相を、全景的に描出することはできないだろう。真に寺院の実景を描こうと思えば、個々の一々の部分を見ずして、建築全体について直観せねばならない。また吾人《ごじん》は、一篇の詩をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に切り離し、個々の部分的な章句を集めて、そこから全体の意味を綜合しようと考えても、始めにその詩を読んでいない限りには、到底認識ができないのである。故に部分をいかに無数に集めても、それの綜合から全体は知覚されない。全体としての意味を知る方法は、ただ直観するのみであると。(『形而上学への序説』引用)
 このベルグソンの認識論が、直ちに芸術で言われるのである。自然主義の写実論や、その他の一般小説家がしている如く、人生の現象や事件に於ける、部分的な描写を無数に集め、それの綜合から一篇の小説的意味を表出しようと考えても、決してそれは完全に成功しない。すくなくともこうした手段は、次に説く方法に比べれば、芸術として極《きわ》めて幼稚な――したがって効果の弱い――認識様式にすぎないのである。より徹底した、真の芸術的なる認識手段は、事物を部分について観察せずして、全体から一度に、気分的な意味として直観してしまうのである。言い換えれば、物の写実的なる形体について見ないで、かかる感覚的形体相の上位にある、全体としての意味の直感、即ち形相以上、形以上のメタフィジックに突入するのだ。
 この形而上学的認識への突入を、吾人は普通に「象徴」と称している。されば象徴こそは、実にあらゆる芸術の認識的極致であって、レアリズムもロマンチシズムも一切の表現の登り得る山頂は此処である。西洋の写実主義的なる芸術家等が、漸《ようや》くこの秘密に触れ、表現の山頂的な意味を知り始めたのは、実に尚最近のことに属している。然るに独《ひと》り不思議なことは、日本に於て早く昔から、象徴が発達していたということである。実に日本人は、西洋の詩人が近代に至って始めて到達した真の主観的|抒情詩《じょじょうし》を、開国三千年の昔に於て発達させ、西洋人が最後に登り得た象徴の絶対境へ、逆に昔から平気で坐り込んでいる民族である。(丁度西洋と日本では、山と谷があべこべ[#「あべこべ」に傍点]に逆転している。)
 此処で象徴の本意を明らかにするため、その代表的な日本の芸術について、大略の説明をあたえてみよう。例えば能がそうである。日本の能は、西洋の写実的なドラマや活動写真の類とは、根本から表現の精神がちがっている。西洋の演劇は舞台に於て、背景にも、人物にも、挙動にも、事実をそのまま写実的に映している。甚《はなは》だしきは、舞台に実物の馬を走らせたりする。然るに日本の能にあっては、かかる形体上の写実を見ないで、意味が全体として感じらるべく、第一義感的なものを強調する。例えば能にあっては、歩行者が写実的な歩調をしないで、歩行それ自身の印象と気分をあたえるべき、或る芸術的な「歩く人」を造形している。また能に於ける「悲しむ人」は、形体の上で涙や悲歎《ひたん》を見せるのでなく、意味としての気分の上で、悲哀の心境を現わすのである。これをかの
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