識でなく、感情の温かい靄《もや》の中で、いつも人懐《ひとなつ》かしげに霞《かす》んでいる。それは主観に融け込んでいる客観であり、知的に分離する事のできないものだ。然るにレアリズムの客観派では、こうした感情的態度が排斥される。彼等は物に就いて物を見、科学的冷静の態度に於て、観照を明徹にしようとする。故に主観を排斥し、感情によって物を見ずして、冷酷透明な叡智《えいち》によって、真に客観的に徹しようとするのである。故に前者の態度は、つまり「主観のための観照」であり、後者は「観照のための観照」である。
 しかしながら実際には、真に「観照のための観照」を考えている芸術は、殆《ほとん》ど稀《ま》れにしか無いであろう。特に文学に於てはそうであって、たいていの多くの者は、この観照の背後に於て、別の主観が「意味」を主張しているのである。丁寧に説明すれば、そうした真実の世界をレアリスチックに描き出すことから、作家自身の情感している或る主観を、読者に訴え、暗示しようとしているのである。つまり言えば両者の相違は、前者が直接に主観を露出し、訴え、叫び、主張しているところのものを、後者は絵画のように描き出し、人生
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