する極端な現実的観念を、最もよく語っている。つまり「生活のための芸術」が、日本では茶道の精神で解されたのだ。
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     第六章 表現と観照


 以上各章にわたって、吾人《ごじん》は芸術に於ける二大|範疇《はんちゅう》、即ち主観主義と客観主義とを対照して来た。そしてあらゆる著るしいコントラストで、芸術の南極と北極とを対照した。しかしながら地球の極地は、一つの地軸に於て両端しており、人が想像するよりも、実には殆《ほとん》ど酷似している。芸術に於ける二つの極地も、決して外見のようではなく、実には同じ本質点で、互に共通しているのである。そしてこの共通点は、共にこれ等の芸術が成立している、表現に於ける根本のもの、即ち観照の智慧《ちえ》である。
 吾人は前の章に於て、主観主義が情意本位の芸術であり、客観主義が観照本位の芸術であることを解説した。しかしいかなる主観主義の芸術も、本来観照なしに成立しないことは勿論《もちろん》である。なぜなら芸術は――どんな芸術でも――表現に於てのみ存在し、そして表現は観照なしに有り得ないから。明白に知れている事は、感情のどんな熱度も、決
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