とを説いたのである。故に当時の意味に於ては、正統なる芸術批判の主張であって、もとより「生活のための芸術」に対する別の主張ではなかったのだ。
然るに当時の人間主義者《ヒューマニスト》等は、初めから基督教に叛逆《はんぎゃく》して立っていた為、この「芸術のための芸術」という語は、それ自ら反基督教、反教会主義の異端思想《ヘドニズム》を含蓄していた。即ち当時のヒューマニズムは、故意に神聖|冒涜《ぼうとく》の思想を書き、基督教が異端視する官能の快楽を追い、悪魔視される肉体の讃美《さんび》をして、すべての基督教道徳に反抗した為、彼等の標語「芸術のための芸術」は、それ自ら異端的の悪魔主義や官能的享楽主義やを、言語自体の中に意味するように考えられた。然るに「芸術」はそれ自ら「美」を意味する故に、此処に唯美主義とか、芸術至上主義とかいう言葉が、必然に異端的の快楽主義や、反基督の悪魔主義やと結ぶことになった。今日|尚《なお》十九世紀に於けるワイルドやボードレエルやを、しばしば唯美主義者と呼び、芸術至上派と呼び、「芸術のための芸術家」と言ったりするのは、実にルネサンス以来のヒューマニズムが、文壇的に伝統して
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