、或る概念されたる、一の名目ある観念への理想を意味し、浪漫主義という言葉は、或る漠然とした、名目なきイデヤへのあこがれ[#「あこがれ」に傍点]を意味している。故に芸術家の主観にあっては、理想主義と言うものはなく、常に浪漫主義が有るのみである。
ゲーテはそのエッケルマンとの対話に於て、次のようなことを語ってる。
「観念《イデヤ》だって? 私はそんなものは知らない。」
「独逸《ドイツ》人は私のところへ来て、ファウストの中にどういう観念を具体化しようとしたかと尋ねる。まるで自分がそれを知っていて言えるかのようだ。」
「私が自覚して、一貫した観念を表現しようとした唯一の作は親和力だろう。そのためあの小説は理解し易《やす》くはなったが、そのために善くなったとは言えない。むしろ文学的作品は、不可測であればあるほど、悟性で理解しがたければしがたいほど、善いものだと思っている。」
[#ここで字下げ終わり]
第五章 生活のための芸術・芸術のための芸術
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芸術家の範疇《はんちゅう》には二つある。主観的な芸術家と、客観的な芸術家である。そして前者が常に観念《イデヤ
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