知らなかった。ただどこかに、或る時、何等か、燃えあがるような生活の意義をたずね、蛾《が》群の燈火に飛び込むように、全主観の一切を投げ出そうとする、不断の苛《いらだ》たしき心のあこがれ、実在のイデヤを追う熱情だった。されば彼の生涯は、芸術によっても満足されず、社会運動によっても満足されず、絶えず人生の旅情を追った思慕の生活、「何処にかある如し」「遂に何処にか我が仕事ある如し」の傷心深き生活だった。
だが詩人にして、いずこか傷心深くないものがあるだろうか。支那《しな》の詩人は悩ましげにも、「春宵《しゅんしょう》一刻価千金」と歎息《たんそく》している。そは快楽への非力な冒険、追えども追えども捉《とら》えがたい生の意義への、あらゆる人間の心に通ずる歎息である。所詮《しょせん》するに詩人のイデヤは、他のすべての芸術家のそれに優《まさ》って、情熱深く燃えてるところの、文字通りの「夢」の夢みるものであろう。
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浪漫主義と理想主義との、二つの類似した言語に於ける別が、イデヤに於ける具象と抽象との、はっきり[#「はっきり」に傍点]した差別を示している。即ち理想主義と言う言葉は
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