うに考えられ、多くの思いがけない読者からは、常に無理解の反感を持たれたりする理由は、つまり言って、僕の論文に、何かの著るしい欠点があり、説明の不充分や論述の混乱から、読者を誤解させるものがあるからである。
 それで僕はこの点に自ら考え及んだ時、論客としての無能さと、表現的才能の欠乏を自覚し、自ら大いに悲観せざるを得なくなった。人がいやしくも思想を発表して、読者にそれが理解されないようだったら、文章家として落第以上の無資格である。しかし一方から考えると、そこにはまた特別の事情があって、あながち僕の低能のせい[#「せい」に傍点]でもない。第一の理由としては、僕の詩論に於ける根本思想が、尋常一様の常識でなく――遙《はる》かに常識を超越して――複雑している為である。この点で言うならば、多くの詩人の自由詩論は、僕の知る限り、たいてい小学生程度の常識論にすぎないので、殊《こと》さら論ずるまでもなく、だれにも解りきってることなのである。そこで或る読者等が、もし小学生の常識論しか理解できない程度の、低い理性の頭脳しか持っていないとするならば、僕の高等詩論は難解であり、必然に誤解を避けがたくなる。
 第
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