こんなにも人々から、意外の誤解をされるのだろうか。先日も北原白秋氏宅で小会のあった時、同席した竹友|藻風《そうふう》氏が、僕の詩論について反対の攻撃を向けられたが、その意味から推察すると、まるで僕を誤解されてるのに驚いた。北原白秋氏さえも、しばしば同じような誤解を、僕の詩論に対して抱《いだ》いてるように思われる。それで「近代風景」の小会に列席すると、僕はまるで四面攻撃の中心点に立ってるようで、八方から詩論について非難されるが、僕としては、いつも意外の感に耐えないのである。(そんなわけから、一時僕は、「近代風景」の誌上に於て、自分の「評判の悪い――皆に嫌がられる――詩論」の発表を遠慮しようとさえ思った。)
僕はもちろん、思想上の敵を持つことを恐れはしない。否、敵の存在は自分にとっての名誉である。しかし誤解による敵だけは持ちたくない。僕の考えるところによれば、竹友氏でも北原氏でも、詩論上の立場に於ては、すくなくとも僕と矛盾する理由がない。詩論家としての僕は、決して「近代風景」の異端者でなく、水に油をさしたような反対党員ではないつもりだ。にもかかわらず、この雑誌の一味からは、僕が異端者のよ
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