の自由主義で様式されている。殆《ほとん》ど文化のあらゆる点で、日本にはクラシズムが全くなく、そうした精神の発芽すらない。日本に於ける形式主義は、すべて支那からの輪入であって、しかも外観上のものにすぎなかった。(支那人はこの点で、日本人と最も箸るしいコントラストである。)
 かく日本の文明が、上古から自由主義と素朴主義で一貫しているのは、民族そのものの本質がデモクラチックで、先天的に貴族主義の権力感情を持たないからである。しかもこうした日本人のデモクラシイや自由主義やは、西洋近代思潮のそれの如き、相対上の反動ではなく、絶対上の気質にもとづくものであるから、日本の過去の歴史には、決して外国に見るような革命が見られなかった。革命とは、自由主義やデモクラシイやが、他の貴族主義に対して挑戦《ちょうせん》するところの同じ権力感情の相対する争闘だから、始めからその権力感情の線外に居る民族には、もとより革命の起る道理がない。日本人は生れつき平和好きの民族で、自由や平等やの真精神を、相対上の主義からでなく、気質上の所有として持っているのだ。
 然るに西洋人は、この点で吾人《ごじん》を甚《はなは》だしく誤
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