のの本塁を、新しき文化の上に築くことだ。今日の詩人諸君が知るべきことは、実に我々の今の社会に、真の「散文」が生れていないと言う事である。故に詩人諸君の為《な》すべきことは、今日に於て詩を作るよりも、むしろ先ず散文を創造することにあるかも知れない。そしてこの最後の見解から、始めて現詩壇の自由詩を肯定し得る。なぜならば今日の自由詩は、それ自ら一種の「新しき散文」であるからだ。そして日本に於ける新時代は、正にこの散文の上に建設され、未来の希望ある進出に向うだろう。
然《しか》り! 詩の時代は未だ至らず。今日は正に散文前期の時代[#「散文前期の時代」に丸傍点]である。
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* 今日の奇怪なる詩人の中には、有機的音律のある真の自由詩を以て、過去の「古きもの」と考え、何等の音律美もない平坦無味の詩を以て、新様式の「新しきもの」と考え、かつそれを信じている人がある。現詩壇の低落は、一つには彼等の妄見《もうけん》と曲弁が与《あずか》っている。
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結論
島国日本か? 世界日本か?
1
東と西と。
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