あると考え、実に有るべき真の詩を[#「有るべき真の詩を」に丸傍点]、理念から閑却していることである。
 思うに現時の詩人たちは、いつも彼等の眼先にちらついている、そうした印象的散文を読んでいるのみで、一も外国の詩を読まず、また自国の過去の詩についても知らないのであろう。もし彼等にして西洋や支那の詩を読み、自国の過去の詩を読んだら、東西古今を通じて、一もかくの如き没音律の詩がないこと、また詩の詩たる真の魅力が、音律美を外にしてあり得ないことを知るであろう。そしてこの点に気がつくならば、現時の詩壇にある如き似而非自由詩が、根本的に承諾されないものであること、いかにもしてより高いイデヤの方へ善導して行かねばならないことを知るだろう。そしてもし、諸君にしてそこに気が付くならば、詩壇の正義は回復され、批判の眼は正しくなり、すくなくとも詩の進出を、正しき方向に導き得るのだ。
 要するに現時の詩人は、日本文明の混沌《こんとん》たる過渡期に於ける、一の不運な犠牲者である。今日から批判して、過去の新体詩人が時代の犠牲者であった如く、吾人もまた近い未来の文化から追懐され、不幸な犠牲者として見られるだろう。
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