却《かえ》ってその反復から、快美なリズミカルの緊張を感じさせる。けだし日本語の音律としては、これが許された限りに於ける、最も緊張した詩形であろう。
故に日本にあっては、短歌だけが不朽の生命を有している。これ以上長い詩形は、いくら試みても駄目である。試みに短歌の上に、も一つだけ五七音の反復を足してみようか。既にもう緊張がぬけ、単律のダルさを感ずる。そしてさらに今一つを加えてみようか。今度は全く今様や新体詩の退屈になってしまう。故に許され得る最後の詩形は、日本語として短歌の外に有り得ない。後世に生れた俳句に至っては、さらにまた短歌の半分しかない。そして短いものほど、日本語の詩としては成功している。
しかし吾人の悩みは、いかにもして日本語の音律から、より長篇の詩が作りたいと言うことにある。おそらくこの同じ悩みは、昔の詩人たちも感じていた。(さればこそ古来種々の新しい詩形が工夫されたのだ。)ではこの悩みを解決すべく、我々はどうしたら好いのだろうか? 先に言った短歌の内部的有機律を、そのまま長篇の詩に拡張したらどうだろうか。否。それは無効である。なぜなら詩の骨骼たる外形律が、既に単調を感じさ
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