ら、その少しく長篇にわたるものは、到底|倦怠《けんたい》して聴《き》くに堪えない。故に古来試みられた種々の長篇韻文は、楽器に合せる歌謡の類を別にして、悉《ことごと》く皆文学的に亡《ほろ》びてしまった。例えば万葉集に於て試みられた五七調の長歌――それは多分支那の定形律から暗示されて創形した――は、一時短歌と並んで流行し、丁度明治の新体詩の如く、大いにハイカラな新詩形として行われたが、その後いくばくもなく廃《すた》ってしまった。後にまた古今集の時代になって、一時七五調の今様《いまよう》が流行したが、これもまたその単調から、直ちに倦《あ》きて廃れてしまった。そして最後に、明治の新体詩が同様な運命を繰返した。
かく日本に於ては、古来から種々の韻文が試みられ、一時的に流行しては、たちまち倦かれて廃ってしまう。ただ独《ひと》りこの間にあって、昔から一貫した生命を有するのは、三十一音字の短歌である。この短詩の形式は、五七律を二度繰返して、最後に七音の結曲《コダ》で終る。それは語数律の単調を避け得べき、最も短かい形式である。此処には同律の繰返しが二度しかないから、何等倦怠を感じさせないばかりでなく、
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