て変化に富んでいる。前者は正しく定律詩の音律美で、後者は自由詩の音律美である。
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     第八章 浪漫派から高蹈派へ


 感情に於ける二つのもの、即ち抒情詩《じょじょうし》的情操(情緒)と叙事詩的情操(権力感情)とが、人文に於て常に対流することは、前章に述べた通りである。実に文芸の歴史は、この二つの感情の反復と、その争闘との歴史に外ならない。そしてあらゆる原則は、常に「反動」の一語に尽きている。即ち一方が抑圧すれば、他方が直ちに反動し、他方が時代を占有すれば、次には一方が興ってくる。この繰返しの反動は、力学的に決定された真理であって、歴史の永遠を通じて続くであろう。決していかなる時代も、その一方のみが、永く決定的に文明を独占することは有り得ない。
 されば、今日の如き、近代文化のあらゆる女性化主義《フェミニズム》にかかわらず、人心の本源する一部に於ては、尚《なお》かつ権力感情の獅子《しし》が猛然と猛《たけ》りたっている。しかもそれは時代の潮流に適合するため、変装された女性化主義《フェミニズム》の仮面の下で、いつも本能獣の牙《きば》を研《と》ぎ光らしている
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