のである。即ちあの聡明《そうめい》なニイチェが言ったように、現代に於ける女性化主義者《フェミニスト》、――平和主義者や、社会主義者や、無政府主義者や――は、すべて羊の皮をきた狼《おおかみ》であり、食肉鳥の猛々しい心を以て、柔和な福音を説く説教者である。確かに、彼等の主義は人道的で、彼等の思想は民衆的だ。しかもこれ等の説教者が意志するところは、民衆の上に働きかけ、彼等を支配し、文明に号令しようとするところの、極《きわ》めて貴族主義的な権力感の高調である。そして近代文明のいかなる女性化主義《フェミニズム》とデモクラシイも、これ等の「変装した貴族主義者」を殺し得ない。(現に資本主義の平民文明そのものが、これ等の変装的陰謀者によって危険視されている事実を見よ!)
さて詩の歴史に帰って行こう。詩の歴史に於ける古典の叙事詩や抒情詩やは、既に前の章で解説した。次には進んで、浪漫派以後に於ける近代の新しい詩と、これが姉妹文芸たる散文の歴史について考えよう。前の章で言ったように、近代に於ける詩の起元は、実に浪漫派によって始まっている。浪漫派以前の詩は、我々にとって古典であり、直接には縁の薄いものにすぎ
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