一切のリズミカルな音律に反感して、純粋にメロディアスな自由律の詩、即ち今日の所謂「自由詩」を生むに至ったのである。自由詩は実に資本主義の産物で、平民文化のデモクラシーを代表している。
しかしながら前言う通り、人間に於ける叙事詩《エピック》の精神と抒情詩《リリック》の精神とは、常に何等かの形に於て、永久に対立すべきものである。この点では、いかに近代の文明が女性化主義《フェミニズム》に潮流しても、人心の底にひそむ不易の本能を殺し得ない。彼等は何等かの形に於て、人の気附かない意想外の変装をし、手に爆弾をかくして「反動」の窓に覗《のぞ》いている。そして他の多くのものは、より[#「より」に傍点]露骨に正面から時代への逆流的形式を取るであろう。
これによって前言う如く、今日でも尚《なお》自由詩と定律詩とは、欧洲に於ける詩界を二分しているのである。即ち平民的な情操を有する詩人は、多く皆自由詩に行き、貴族的な権力感を有する詩人は、概して皆定律詩に拠っている。けだし貴族的な精神は、本質的にクラシズムで、骨骼のがっしり[#「がっしり」に傍点]した美を求めるからだ。彼等の趣味に取ってみれば、自由詩は軟体
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