説的なる、寓意《ぐうい》的なる、一の「憎々しきもの」として、それの歪像《わいぞう》を映すのが普通である。後の章に説く近代の立体派や、表現派の詩が、その同じ精神の系統に属している。だがこの解説は後に譲り、こうした詩的情操の投影さるべき、表現の形式について考えよう。
 感情の南方地帯に属するもの、即ち所謂「情緒」は、それ自ら愛《ラブ》の本有感である故《ゆえ》に、博愛や人道やの、すべての柔和なる道徳情操を基調している。この感情の本質は涙ぐましく、甘くスイートな気分に充ちてヴァイオリンのようにメロディアスのものである。故にその発想の形式は、必然に柔軟可動体なる、メロディアスの自由主義を欲求する。これに反して一方のもの、即ち意志的なる「権力感情」は、すべてに於て力のある、骨組みのがっしり[#「がっしり」に傍点]とした、拍節の正しいリズミカルの美を求める。そしてこの精神から、古代の芸術に見るクラシズムが発生したのである。此処《ここ》でクラシズムについて一言しよう。
 クラシズムとロマンチシズムとは、実に芸術における北極と南極で、世界の終る両端である。浪漫主義の本有感は、愛のメロディアスな情緒感で、
前へ 次へ
全334ページ中211ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング