が純に客観的の観照によってされるならば、それは小説に属して詩に属さない。新しき文学の批判にあっては、この一つの線を判然とする必要がある。
第六章 形式主義と自由主義
詩に於ては、音律が重大の要素であり、それが殆《ほとん》ど詩的形式の骨組をすることは、前に既に述べた通りだ。しかし詩が音律を要求するのは、感情の強き表出を求めたためで、必ずしも拍節形式のための要求ではない。もちろん、言語の発想はそれが「音」として響く限り、大体に於て音楽の原則に支配さるべく、必然に決定されているには違いないが、所詮《しょせん》文学は文学である故《ゆえ》に、言語が必ずしも音楽の規約と一致し、楽典の定める韻律の形式と、常に機械的に規則正しく符節するということは考え得ない。もしかかる符節があるとすれば、それはむしろ偶然であり、百に一の場合と言わねばならぬ。
然るに不思議なことは、古今すべての詩の約束が、この偶然の場合を法則とし、音楽に於ける韻律の形式を、そのまま正則に言語に移して、所謂《いわゆる》「韻文」を成形していることである。実に歴史の長い間、詩はすべて韻文の形で書かれ、この形式の故にのみ
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