西洋へ輸出された。換言すれば西洋人は、日本の浮世絵の刺激から、始めて象徴に目が覚めたのだ。
西洋に於て、始めて象徴主義が意識的に自覚されたのは、最近十九世紀末葉のことであった。しかも同時に前後して、芸術の二つの群から主張された。即ち一は詩壇に於けるマラルメ等の象徴派で、一は美術界に於ける後期印象派の運動である。この後の者について言えば、彼等の美学は明らかに日本の浮世絵から啓示されてる。それは物の形体を見ずして本質を見、部分のデテールを描写しないで、直ちに物それ自体の実有相を表現する。特にこの派の巨匠の中、セザンヌは観照に於て最もよく徹底している。彼は物質の本有する形態感、重量感、触覚感等のものを、絵画によって三次元的の空間に描こうとした。吾人は彼の描いた一つの椅子から、すべての物質に遍する本有の実在を直覚する。セザンヌは一の哲学(形而上学)である。
これに対して、一方詩壇に掲げられた「象徴」の観念は、極めて曖昧朦朧《あいまいもうろう》とし、意識の漠然たる謎《なぞ》で充たされていた。彼等は強《し》いて詩語を晦渋《かいじゅう》し、意味を不分明の中に失わせて、自ら象徴だと信じていた。けだ
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