活動写真が、実に涙の流れている実況までも、大映しにして見せる丁寧な写実主義と比較すれば、東西地球の相《あい》距《へだた》ること、正に煙外三万里の感がある。
 美術に於てもまた同様である。西洋の絵画や彫刻やは、部分的なるデテールの描写を丹念にし、実物の風景や人物やが、真にそこにある如き生き写し[#「生き写し」に傍点]を主眼としている。然るに日本|支那《しな》等に於ける美術は、始めから全くかかる写実を無視し物それ自身が有する本質的なる実有相を、直ちに全体の意味として捉《とら》えてしまう。故に例えば東洋の絵は、竹を描いても虎を描いても、その植物や動物が持っているところの、真の実有相なる直情性や猛獣性やを、形以上のメタフィジックな本質から直観し、意味それ自体を直接に強調している。日本の浮世絵の表現も、同じく本質に於て象徴主義で、西洋の油画と根本的にちがっている。しかし能と歌舞伎劇とを比較する時、後者がより[#「より」に傍点]写実的であるように、他の南画や支那風の墨絵に比して、浮世絵がより[#「より」に傍点]写実的であるのは争われない。そしてこの点から、浮世絵の程度の象徴主義が、漸くそれの媒介で
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