がしている如く、人生の現象や事件に於ける、部分的な描写を無数に集め、それの綜合から一篇の小説的意味を表出しようと考えても、決してそれは完全に成功しない。すくなくともこうした手段は、次に説く方法に比べれば、芸術として極《きわ》めて幼稚な――したがって効果の弱い――認識様式にすぎないのである。より徹底した、真の芸術的なる認識手段は、事物を部分について観察せずして、全体から一度に、気分的な意味として直観してしまうのである。言い換えれば、物の写実的なる形体について見ないで、かかる感覚的形体相の上位にある、全体としての意味の直感、即ち形相以上、形以上のメタフィジックに突入するのだ。
この形而上学的認識への突入を、吾人は普通に「象徴」と称している。されば象徴こそは、実にあらゆる芸術の認識的極致であって、レアリズムもロマンチシズムも一切の表現の登り得る山頂は此処である。西洋の写実主義的なる芸術家等が、漸《ようや》くこの秘密に触れ、表現の山頂的な意味を知り始めたのは、実に尚最近のことに属している。然るに独《ひと》り不思議なことは、日本に於て早く昔から、象徴が発達していたということである。実に日本人は
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