念も出来ない中に、次から次へと流行が変って行き、空《むな》しく取り散らされた多くの言語が、無意味不可解の闇《やみ》の中で、永く幽霊のように迷っている。此処《ここ》に説く「象徴」という観念も、この怨《うら》めしき亡魂の一つであって、かつてずっと早くから我が国に輸入され、一時詩壇で流行したるにかかわらず、早く既に廃《すた》ってしまい、しかも今日|尚《なお》、言語は不可解のままに残されている。
 抑々《そもそも》「象徴」とは何だろうか? 一言にして言えば、象徴の本質は「形而上《メタフィジック》のもの」を指定している。本質に於て形而上的なるすべてのものは、芸術上に於て象徴と呼ばれるのである。然るに形而上的なるものは、主観の観念界にも考えられるし、客観の現象界にも考えられる。換言すれば、時間上に考え得られる実在もあり、空間上に考え得られる実在もある。これを芸術上で見れば、前者は人生観のイデヤにかかわり、後者は表現上の観照にかかわっている。そこで象徴という言語にも、二つの異った意味が生じてくる。先《ま》ず前のものから説明しよう。
 先に他の章(人生に於ける詩の概観及び芸術に於ける詩の概観)で述べた
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