ように、詩的精神の第一義感的なるものは、何よりも宗教情操の本質と一致している。その宗教情操の本質とは、時空を通じて永遠に実在するところの、或るメタフィジカルのものに対する渇仰で、霊魂の故郷に向えるのすたるじや[#「のすたるじや」に傍点]、思慕の止《や》みがたい訴えである。そこでこの宗教感のメタフィジックを、特に観念上に於て掲げたものを、芸術上で普通に「象徴派」と称している。即ち先の章で述べたように、散文ではポオの小説、メーテルリンクの戯曲などが、それの代表として思惟《しい》されている。然るに詩壇に於ては、特にこの観念を意識的に旗号した一派のものが、十九世紀末葉の仏蘭西《フランス》詩壇に現われたので、世人は特に彼等を象徴派の詩人と呼んでいる。
 しかしながら前言う通り、詩的精神の第一義感なるものは、すべてこの種の宗教情操に基調している故《ゆえ》、これを称して象徴と呼ぶならば、一切にわたる詩の最高感は、悉《ことごと》く皆象徴でなければならない。例えば前に他の章(抽象観念と具象観念)で言ったように、芭蕉《ばしょう》のイデヤしたところのもの、石川|啄木《たくぼく》が生涯を通じて求めていたもの、
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