することは、人の知っている通りである。
それ故に詩の表現形式は、単に音律ばかりでなく、音律以外の言語的要素(語感、語情)と相待って、始めて完全することを知るであろう。そしてかく考えれば、詩に於ける音律性が、単にその重要なる一部にすぎず、必ずしも全般でない事が理解される。実に具体的なる詩と言うべきものは、音律や語感やの感情要素が、複雑なる有機的関係によって結合されたものであり、個々にその要素の一々を、抽象しては思考されないものである。故に詩の形式を定義するべく、実には何と言って好いだろうか。詩とは辞書が意味する通りの、形式的な韻文であると言おうか。否。もちろん否である。では韻文という語を広義に解して、自由詩や無韻詩をも包括し得る、本質上の韻文であると断定しようか。これ殆《ほとん》ど当っている。けれども尚、未だ十分に達していない。なぜならば前言う通り、世には音律あって詩的精神のない文学があり、そしてこの種のものは、自由律に於てさえも絶無を保証し得ないからだ。
詩の形式とは何ぞや? 実に残された問題は、この命題への解答である。どこかそこには、一言にして万事を言い尽し得るような、詩的表現の
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