全般に行き届いた、真の判然明白なる答案があるように、有るべき筈《はず》だと感じられる。そしてこの解答が、もし完全にできるならば、その時始めて吾人は、真に詩的表現の何物たるかを、まちがい[#「まちがい」に傍点]なく正確に、かつ完全に知り得たのである。さらに進んで、徹底的に考を進めて行こう。

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* 最近の世界詩壇は著るしく散文的《プロゼック》になり、唯物論的になり、機械観的になり、科学的にさえも傾向している。これ表面には、詩の散文的没落を意味する如く思われるが、実には何の心配もないのである。なぜならこうしたものは、すべて詩の題材に属していて、詩の本質的精神に関係していないからだ。換言すれば、それらの唯物界や機械界やは、詩人によって新しく発見された詩美であって、趣味としての選択に属している。然るに趣味(即ち芸術の題材)は、詩の本質的精神とは関係なく、時代によって常に流動変化するものである。即ちプロゼックなものは流行であって、本質に於けるものは不易である故、詩は永久にその精神を没落しない。芭蕉《ばしょう》はこの真理を言明するため、有名な「不易流行」の標語を作った。詩人は
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