の有無――即ち詩的内容の有無――を、どうして実際の作物から判断することができるだろう? すべての芸術は、ただ表現を通してのみ理解し得る。吾人は表現の背後に住んでる、作者の心理や態度については、全く推察することができないのである。そして表現に現われたるすべてのものは、必然に何等かの形式を意味している。故に真の詩と似而非の詩との区別も、やはり表現の上に於て、何等かの形式で見る外はない。
 だがしかしこの問題は、数学の最も複雑な微分法を以てしても、到底計算できないところの、言語の微妙にして有機的な関係に属している。この点で言えば、芸術の意味はただ直感によって知られるのみだ。何故に或る詩は本物として感じられ、或る韻文は非詩として感じられるかということは、実に言語の語意や音韻に於ける組み合せの、複雑微妙なる関係にかかっている。そしてどんな人間の理性も、決してそれを計算し得ない。(もしそれの計算ができたら、人間は頭脳で名詩を創作し得る。)だがしかしこの場合にも、大体に於ける原則だけは、一般の作品を通じて普遍的に、まちがい[#「まちがい」に傍点]なく断定できる。即ち真に感情で書いたところの、実の本物
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