べつ》を以て考えられた。
こうした自然主義の文学論が、根本に於て詩と両立できないもの、否|正《まさ》しく詩の讐敵《しゅうてき》であり、詩的精神の虐殺者であることは言うまでもない。だが我々は、文学の主張について聞くことなしに、実の作品について観察しよう。何となれば芸術は、多くの場合に作品と主張とが一致せず、時に全く矛盾する場合がすくなくないから。そして自然主義の文学が、実に正しくその通りであった。例えばあのゾラを見よ。モーパッサンを見よ。ツルゲネフを見よ。果して彼等の作品に主観がないか。反対にむしろ、倫理感や宗教感が強すぎるほどではないか。すべて彼等の作品は、熱烈なる主観によって、何物かの正義を主張し、社会の因襲に対して牙《きば》をむいてる、憎悪《ぞうお》の烈《はげ》しい感情で燃焼されてる。
この不思議な矛盾した文学、自然主義について少しく語ろう。仏蘭西《フランス》十九世紀に起ったこの文学運動は、正しく浪漫派への反動であり、時代思潮の啓蒙《けいもう》運動を代表している。何よりも彼等は、浪漫派の上品な甘ったるさと、愛や人道やに惑溺《わくでき》している倫理主義を、根本的に嫌《きら》ったの
前へ
次へ
全334ページ中106ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング