て、どこに詩的な表現があるだろうか。
 第一に考えられるのは、ポオの小説や、メーテルリンクの戯曲やである。一般に言われる如く、これ等は「散文学としての詩」であって、小説や戯曲の形に於ける、詩的精神の最も高いものを表現している。吾人はポオの『アッシュル館の没落』や、メーテルリンクの『タンタージルの死』を読む時に、小説や戯曲を読むというよりは、むしろ全くの純粋の詩を読んでいるような感がする。すくなくともこれ等の文の本質は、詩の持っている第一義感の精神と共通している。そして詩に於ける第一義感の精神が、宇宙の実在性に触れようとするメタフィジックの宗教感であること――それ故に宗教が詩的精神の最高部であること――は、前章に於て既に説いた。(前章参照)
 かく宗教観に情操するものを、芸術上で普通に「象徴」と言ってる。この象徴に関する別の解義は、後に他の章で詳説するが、とにかくポオやメーテルリンクは、これによって象徴派と呼ばれている。そこでこれ等の象徴派につぎ、詩的精神の最も高調された文学は、人の知る如く浪漫派や人道派の文学である。実にゲーテや、ユーゴーや、ジューマや、トルストイや、ドストイエフスキイ
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