や、ぐにゃぐにゃ[#「ぐにゃぐにゃ」に傍点]したメロディアスのものがなく、冷酷な理智的な頭脳によって、規律正しく組織的に分析された、概念のリズミカルな配列がある。そして独逸人が悦ぶのは、実にこの男性的な、がっしり[#「がっしり」に傍点]とした、真にクラシカルな哲学の美なのである。
 こうした独逸人の趣味にとって、ニイチェの狂号する哲学は、あまりにヒステリカルで、神経質の女らしいものに感じられる。彼等がそれを軽蔑《けいべつ》し、不快な冷笑を以て迎えたのは当然である。しかしながら吾人は、かかる独逸人の趣味の中に、何等「詩」の理解がないことを確信する。なぜなら詩とは、独逸人の愛する如き純のクラシズムの美ではなくして、むしろかかる権力感へ飛翔《ひしょう》すべく、身構えられた主観の躍動にあるからだ。人はしばしば言う。独逸人の詩は科学であると。けだし独逸人の好むものは、科学に於ける組織的、分析的、規律的、軍隊的であるところの、あのリズミカルでがっしり[#「がっしり」に傍点]した形式にかかっているのだ。しかしそれが果して「詩」であるだろうか。もしそうであるならば、科学の中のクラシズムたる数学こそ、実に詩の中の詩であると言わねばならぬ。そして数学がもし詩の規範たるべきものならば、詩的精神の本質は理智であり、純粋に没情感のものでなければならぬ。
 しかしながら吾人は、どんな懐疑思想の極に於ても、詩の本質をかかる没情感のものと考え得ない。数学的なる形式は、単に「純美」というべきものであって、決して詩の本質に属しないのだ。詩の詩たる本質は、所詮《しょせん》どんなクラシズムの形に於ても、主観に於ける感情の燃焼であり、生活的イデヤの痛切な訴えでなければならぬ。故に詩の本質は、常に必ず「生活のための芸術」であって、真の芸術至上主義には所属できない。真の芸術至上主義と言うべきものは、芸術に於ける科学者の態度を指している。即ちあの研究室の中に没頭して、一切の生活感や人間的情味を超越しているところの、真の学究|三昧《ざんまい》の態度を意味する。芸術家に於て、吾人はしばしばこの種の例を、或る種の画家や美術家――例えば北斎など――に発見する。彼等こそは真に芸術三昧であり、表現のための表現に献身している。しかし吾人の知っているどんな詩人も、決して芸術至上主義者であり得ない。なぜならば詩人は、芸術上に於てすらも、科学者たるべくあまりに人間的で、あまりに意志の弱い心を持っている。表現者であるよりも、彼等はより多く生活者でありたいのだ。そしてそれ故に、芸術至上主義者は詩人でなく、詩人にとっての「英雄《ヒーロー》」であるにすぎない。
 要するに詩人は――どんな詩人であっても――所詮して主観的な感情家にすぎないのである。然《しか》り! あまりに詩人的でありすぎることからして、彼等は反動的に主観を抑え、情緒の虐殺を叫ぶのである。しかもそれを叫ぶことによって、逆にまた詩人的に興奮し、一層またセンチメンタルになってくる。故に詩に於ける主観派と客観派は、その表面上の相対にかかわらず、絶対の上位に於て、一の共通した主観を有し、共通したセンチメントを所有している。そしてこの本質上のセンチメントが無かったならば、実に「詩」というべき文学は無いのである。さればニイチェが歎《なげ》いたことは、彼がいかにして詩人であり、詩人を超越し得ないと言うことだった。だが彼がもし詩人でなく、実にヘーゲルの如き学者であり、ビスマルクのような軍人であり、そして真に鉄製の意志を持った独逸人であったならば、始めからどんなツアラトストラも無かったろう。実に詩は現在《ザイン》しないものへの憧憬であり、所有を欲する「自由への欲情」に外ならないから。
 故に詩人は、彼が*気質的のセンチメンタリストであるほど、それほど逆に英雄的な叙事詩《エピック》の作家になり得るだろう。詩人が権力感情に高翔するのは、駱駝《らくだ》が獅子《しし》になろうとし、超人が没落によって始まるところの、人間悲劇の希臘《ギリシャ》的序曲である。あらゆる文明の源泉はこの叙事詩《エピック》から始まってくる。故に詩に於けるヒロイズムは、本質的に「悲痛なもの」を情操している。否むしろ、叙事詩《エピック》の真の魅惑は、その悲痛感によって尽きるのである。悲痛感を外にして、いかなる叙事詩の誘惑もありはしない。いかにゲーテのファウストやダンテの神曲やが、人間的弱小の非力感から、或る超人的なものへ飛ぼうとする悲痛な歎息を感じさせるか。そして支那《しな》の詩の多くのものが、沈痛無比な響を以て人生を慷慨《こうがい》悲憤していることぞ。そしてまたその故に、この種の詩ほど真の意味で情緒的で、感傷の深いものがどこにあろうか。
 されば叙事詩は言わば「逆説された抒情詩」であり、詩に対
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