は、かかるヒロイックな権力表現を求める詩人が、果して真に生れたる英雄であり、ビスマルク的鉄血心を持っているところの、真の独逸《ドイツ》軍人であるか否かと言うことである。
 この疑問に対しては、吾人は明らかに「否!」と答える。古来幾千の詩人の中、果して真に英雄的だった人物がどこに居るか。彼等の或るものは、時に或は勇士の如く、英雄の如くにふるまっている。しかもこれ外見のドラマにすぎない。真実のところを言えば、あらゆる詩人は女性的で、神経質で、物に感じ易《やす》い、繊弱な心をもったセンチメンタリストにすぎないのだ。(でなければどうして詩が作れよう。)一つの決定的な事実を言えば、詩に於ける一切のヒロイズムは、畢竟《ひっきょう》して「逆説的のもの」にすぎないということである。換言すればあらゆる詩人は、英雄的なものへの憧憬《どうけい》から、オデッセイやイリアッドの勇ましい、権力感の高翔した詩を作るのである。そして彼が「憧憬する」ところのものは、実には彼自身に属していないもの、所有していないものである。
 そもそも詩の本質感は何だろうか。詩は「現在《ザイン》しないもの」への欲情である。現にあるところのもの、所有されているところのものは、常に没情感で退屈なものにすぎない。詩を思う人の心は、常に現在《ザイン》しないものへ向って、熱情の渇《かわ》いた手を伸ばしている。そして実に多くの詩人は、彼自身の存在に鬱屈《うっくつ》しており、自己に対して憎悪《ぞうお》と嫌忌《けんき》とを感じているのだ。おそらく彼等は、世界に於ける愚劣なものを、自己の詩人的な性格について自覚している。そして反動から、より頑強《がんきょう》な心を持った、神経の太々《ふてぶて》しい、大胆無法な勇気をもった、真の英雄的なものに憧憬している。
 故に詩に於ける権力感は、常に非所有のもの、自由の得られないものに対する、弱者の人間的な羽ばたきである。換言すれば、詩人は詩を作ることによって、表現からの権力[#「表現からの権力」に傍点]を得、貴族を現実しようとする。実にホーマーについて知られることは、彼がイリアッドを書いている時に、あの見すぼらしい放浪詩人が、実にトロイ戦争の勇士であり、アキレスであったと言う事である。だが反対にもし、ホーマーが実の英雄であったならば、おそらく彼は、そうした詩など書こうともしなかったろう。寧《むし》ろ彼は始めから、トロイ戦争の勇者になり、アキレスのように戦場で功名していた。そしてダンテも、ミルトンも、或は高蹈派のルコント・ド・リールも、すべての詩人がそうであった。彼等のあらゆる尊大なる、芸術的荘重感にもかかわらず、実には心の弱い詩人であり、神経質な感じ易い人物にすぎなかった。
 されば詩に於けるクラシズムは、あまりに情熱的な詩人の血が、北極の氷結した吹雪の中で、意志の圧迫されることに痛快する、一種の逆説的詩学に外ならない。彼等のそこに求めるものは、ストア的律格の厳正さと、がっしり[#「がっしり」に傍点]した韻律の骨組と、そしてあらゆる意志的な抑制とから、すべての生《なま》ぬるい主観を圧し、センチメンタルな情緒を殺し、それの痛烈から逆に飛躍しようとする意欲である。かの近代に於ける新形式主義《ネオクラシズム》の立体派等も、思うにその精神をこの同じところに基調している。故に彼等の詩の中では、常に歪《ゆが》んだもの、残酷なもの、意地あしきものがいて、情緒への叛逆《はんぎゃく》的な牙《きば》をむいている。そして実に、あらゆるクラシカルな詩の「主観」が、この逆説なニヒリスティックの情熱に存するのだ。
 故にこの種の詩は、主観を抑圧することによって、逆に却《かえ》って主観を飛躍させ、情緒を苛《いじ》めつけることによって、却って最も強いセンチメントを高調させる。そして実に、それ故にこそ「詩」が詩としての魅力をもつのだ。もし実に主観を圧し、情緒を殺してしまったならば、果してどこに詩の詩たる魅力があるのか。この場合には前のように、実の冷たい理智的な文学となり、精神なき形式美の造型物となる外はない。
 フリドリヒ・ニイチェの哲学は、自国の独逸に於て悦《よろこ》ばれず、却って仏蘭西や伊太利《イタリー》の外国で迎えられた。あのあまりに独逸的な、権力感情的なニイチェが、何故に自国で読まれず、逆に南欧の外国で読まれたのだろうか。けだし独逸人は、ニイチェを理解すべく、彼自身があまりに実際の軍人であり、あまりに実際の権力主義者でありすぎたのだ。詳しく言えば、独逸人に取って悦ばれるのは、常にヘーゲルであり、デカルトであり、カントである。それらの哲学は、純粋に没情緒の概念で固めつけられ、がっしり[#「がっしり」に傍点]としており、組織的の方程式で成立している。そこには女性的な弱い心や、神経質なもの
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